夜の時間におこなう野球その他の試合を「ナイター」と言っている。「デーゲーム」に対して「ナイトゲーム」という言い方も最近よく聞くが、「試合」のことを平気で「ゲーム」と言うようになったのは比較的最近のことではなかろうか。それまでは「ゲーム」と言うと子供の遊びというニュアンスが強かった。だから、真剣勝負の気合いで臨む試合に対して「ゲーム」ということばを使うのは抵抗があったことだろう。
全国各地の街々には街路樹がある。私は木や森と関わることを職業としているせいもあるが、やはり街路樹がしっかりと植えられている街でないと好きになれない。私でなくとも、読者のなかにもそういう人が多いにちがいない。街路樹のよさがその街の品格を代弁する側面がある。街路樹をまったく大切にしない自治体があったとしたら、その自治体にはどこかに欠点があると言ってもいいだろう。
会話や文章の中に外来語や外国語を多用すると円滑なコミュニケーションが妨げられる、という指摘がなされることがしばしばある。「あの人の話は横文字が多くてわかりにくい」などという話もよく耳にする。「わかりにくさ」が個人的な問題で終わる分には害が少ないが、公共施設の掲示や官庁の広報紙、新聞や放送などに多くの人が理解できない外来語や外国語が並ぶとなると話は別である。
日頃見慣れている景色―たとえば、自分の家の玄関の造りや庭のたたずまいなどが、ある時、ふと、まるで初めて見る時のように新しく、珍しく感じられるという経験をしたことはないでしょうか。そのような時、私たちは日常、眼でものを見ているつもりで、それでいて実は何も見ていなかったのだということを感じます。言葉についても、同じことです。日頃使い慣れている言葉ですから、私たちは自分の使う言葉については何でも分かっているつもりですが、ふとした機会に、実はそれが勝手な思い込みであったことに気づいて、はっとすることがあります。
写真をとられるときなどに、手をどこにおこうかと考えはじめて困惑してしまうことがある。両手を前で重ねて組むか、後ろで組むか、それとも脇にのばしておくのがよいか、手はまったくあつかいにこまるのだ。それというのも、手や指は否応なしに、その人間の意識の方向や意思や気分などをあらわしだすものであり、その過剰な意味作用が人間のからだをわざとらしく、ぎこちないものにしてしまうからだ。
外向的、内向的という言葉がある。顔からもある程度それがわかる。その印象は、顔のどこから感じられるのであろうか。まず、顔の全体が、特に目と眉が内側に寄っていると内向的に見える。内向的という言葉のもともとの意味は、気持ちが自分の内側ばかりに向かっていることである。顔の目や眉などのパーツが内側に寄っていることとは、何ら関係ないはずである。ところが、考えごとをするときは、自然と顔が内側に寄る。眉間にもシワが寄る。それは、顔を内側に寄せて自分の環境をせばめ、そのなかで深く物ごとを考えようとする姿勢である。
楽天家の父から、「人は知らず知らずのうちに、最良の人生を選択している」と教わってきました。人生は、色々と枝分かれした分岐点の連続ですが、おのずとその最良の道に向かっていると。そう考えると、すべてが楽です。目先だけ見ると失敗でも、後で振り返った時、その失敗が成功につながる道であったりする。人生は、近道ばかり行こうとすると、そこに落とし穴があるかもしれない。少し遠回りした方が良いのかもしれません。
「俺は料理が得意なんだ」と自慢げに語る男性の頭に、素材の値段やかかる時間、そして誰が後片付けをするか、などという問題は存在しません。あくまで趣味なのですから、高価な肉や滅多に使わない香辛料を駆使し、無駄をいっぱい出しながら料理をするのです。そして使い散らかされた道具を洗うのは、奥さんだったりする。
かなり能力のある人が何時まで経っても上昇気流に乗れず、奇妙に不遇(注1)であるという場合が少なくない。そういう型は例外なく親友がいないのを特色とする。深く語らえる友を見出すための努力を怠ったせいである。通常、親友が出来るのは二十歳前後。その次には入社後三年以内である。それには人生の辛酸(注2)を嘗めた者同士が意気投合する(注3)光景も見られる。いずれにせよ友を求める気持ちの強い両者の幸運な出逢いである。
(注1)不遇:運がない
(注2)辛酸を嘗める:苦労を経験する
(注3)意気投合する:気が合う
近代日本の教育にかんして、その内容がいかに問題にされても、すこしも疑われていないのは、義務教育制度そのものである。何がそこでどのように教えられるかではなく、この学制それ自体が問題なのだが、教育論はすべてこのことの自明性の上に立っている。かりにそれ以前の教育が歴史的に考察されるとしても、寺子屋(注1)や私塾のようなものを恣意的(注2)にとり出すだけである。あたかもそれらが拡大し一般化したのが「学制」であるかのように。
(注1)寺子屋:昔の学校
(注2)恣意的:自分勝手に
援助することは簡単そうで、案外難しい。特に緊急を要する援助は判断が難しい。人が倒れている、といっても横になっているだけかもしれない。野に火の手が上がっている、といっても焼畑かもしれない。その時、どう判断するか。
大きな要因となるのは周りの人の判断や行動である。その行動をみて、自分も判断する。しかし、その人だって確信があるわけではない。やはり周りをみて行動しようとする。お互い、相手の行動をみていて動かない。誰も動かないので、動かないことが基準となって、緊急性はないという判断が働く。つまり援助行動がなされない。これを援助行動の相互抑制効果という。
限られた時間や財産ではすべての目標を達成できないとすると、何かを行うときに犠牲になっているのは、突き詰めてみれば、それによって実現できなくなる別の目標なのです。お金や時間はこうした犠牲を計る上での大切な目安ではありますが、それだけでは判断が不正確になる恐れがあります。一つのことを実行する前に、それを行う替わりに何ができなくなり、何が手に入らなくなるかをきちんと考える。そうした犠牲を払ってもなお実行する価値のあることだと判断したならば実行する。経済的な行動とは、結局はそういうことです。
不動産の仕事に就いて20年。仕事柄、「マンションを買いたいが、いつが買い時か」という相談をよく受けます。仕事が安定して、予算や住みたい町、希望の間取りなどについて考えがまとまったなら、特に購入時期を迷う必要はないでしょう。市場でいう買い時よりも、自分自身のタイミングを重視した人のほうが、たいていは満足のいく買い物ができるようです。ただ、将来マンションを人に貸す予定がある場合は、購入時期をよく検討することをお勧めします。マンションの供給が多い時期は、誰でも住みたくなるような物件を比較的安く買えるので、好機といえます。借り手が見つかりやすいうえに、利益も期待できるからです。
火山国の日本ですが、地熱発電所はここ10年間建設されていません。建設費がかかるだけでなく、地質の基礎調査から発電所の稼働(※1)まで約10年を要しますので、一企業には負担が大きすぎるのです。また、候補地の多くが国定公園や温泉地に当たるため、法規制や地域住民の反対によって基礎調査すら始められない、という現状もあります。一方で、安定稼働まで進めば、比較的低コストで維持でき、天候にも左右されずに電力を供給することができます。電力源として非常に魅力的であり、国内に開発技術もあることから、国の政策次第では、今後最も期待できる発電事業だといえます。
(※1)稼働:人や機械などが仕事をすること
ナポレオンの睡眠時間が3時間だったというのは、有名な話ですが、アインシュタインの睡眠時間を知っている人はそう多くないのではないでしょうか。実は、彼の平均的な睡眠時間は10時間だったと言われています。忙しく働く現代人は、睡眠時間をたくさん取ることに抵抗を感じる傾向があるようです。しかし、睡眠時間が長くても出世することはできますし、その逆もまたしかりです。どれくらいの睡眠時間を取るかは、自分自身と相談しながら自然に定まるべきものであり、短いほうがいいというものでは決してないのです。
いつもザッカドットコムをご利用いただき、誠にありがとうございます。
さて、来る2015年0月0日(土)午前0時から8時まで、サーバーのメンテナンスのため、当サイトの配信を一時停止させていただきます。その間、すべてのオンラインでの業務は受け付けができませんので、ご了承ください。
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株式会社ABC
私は1年前から自転車通勤を始め、毎朝1時間かけて、自宅から会社まで通っている。きっかけは、職場の健康診断で運動不足を指摘されたことだった。確かに自転車通勤を始めたことで体力が付き、緩んだお腹が引き締まっていくのを感じた。また、一般に言われるように、寄り道(※1)ができることや季節を感じられることが、自転車通勤ならではの楽しみだと実感した。しかし、私にとっての楽しみはそれに留まらない。自転車の場合は、電車通勤とは違い、家や会社を出た途端に一人になれるのだ。少しの間だが、風を感じながらの一人旅は、ちょっとした解放感が得られ、とても気分がいいのである。
(※1)寄り道:目的地へ行く途中で、他の所へ立ち寄ること
最近、口げんかが下手な若者が増えているそうだ。だとすると、その原因の一つとして、親子間のコミュニケーション不足が考えられる。今の日本には、夫婦共働きや一人っ子の家庭が多い。そうすると、子どもたちは学校から帰った後、長時間だれとも会話することなく、一人きりで過ごすことになる。そのような生活が続く中で、感情を言葉で表す術がわからなくなり、口より先に手が出てしまう子供や、知識ばかりが先行する、いわゆる「頭でっかち」の子供が増えてきたのではないだろうか。
枝豆には「早生」「中生」「晩生」などの品種があり、それぞれ栽培時期が異なります。早生の品種は4月初めに種をまき、わずか2ヵ月半ほどで収穫できます。晩生は6月に種まきをし、9月ごろ収穫します。早生は病害虫の発生が少ない時期に収穫できる、中生は気温の上がる5月に種まきをするため発芽の失敗が少ない、晩生は生育期間(※1)が長いので実が大きくなるなど、それぞれのメリットがあります。一方、いずれの品種にも共通するのが、芽が出るまでは鳥に狙われやすいということです。そのため、土にネットをかぶせるなどの対策がとられています。
(※1)生育期間:種まきから収穫までの期間
どうして人はツメをかんでしまうのでしょうか。ツメかみの癖がある人を観察していると、読書をしている時、仕事中、受験勉強中、または携帯電話をいじっている時など、どうやら何かに没頭しているときにツメをかむようです。ツメをかむという行動には、活発になりすぎた脳の働きを落ち着かせるといった性質があり、ツメをかむ行為自体は無意識的なものだといえます。また、ツメをかまなくても、顔や髪の毛を触わることでも同様の心的効果が得られるようです。心理学ではこのような行為を「自己親密行動」と呼びます。
先日の震災直後から、私たちは情報の洪水の中にいた。あの時かけめぐった数多くの憶測の情報やうわさに一切触れることがなかったという人が果たしてどれだけいるだろうか。専門家の分析によると、過去の大きな災害時や戦時中に流れた数々のうわさと驚くほど符合する点が多いという。ただし、これらは必ずしも「正しい情報を知ろう」という意図をもって流されるわけではない。自分たちの置かれている予測不能であいまいな事態に対して、一刻も早くそれを解釈しようとする気持ちがうわさを自然発生させるのである。うわさとは、いわば見えないものに対する我々自身の恐怖心、願望そのものだともいえよう。
「人が幸せになると、自分もうれしい気持ちになるんです」という人がいる。そこには動かぬ矛盾が存在する。人を幸せにしたいなんてかっこいいことを言っておきながら、実際は自分がうれしいからそうしているだけなんじゃないか。自分の自己満足のために人を利用しているのではないか。これは利他主義の皮をかぶった利己主義だ。だから、私は究極の利己主義者になろうと思う。
実は利己主義は好き勝手に振舞えばいいように見えて、結構難しい。その時その時に応じて、目先の利益ではなく、後々の事も考えながらどうするのが自分にとって最善かを考えないといけないのだ。自分にとってマイナスの結果を招きたくなければ、人に迷惑はそうそうかけられないのだ。自分のやりたいようにやって、それでいて人の迷惑にもならない。それこそ私が目指すところの利己主義なのである。
「ゲーム」という言葉について、筆者はどう考えていますか。
Tác giả nghĩ như thế nào về từ 「ゲーム」?
1. 最近の試合は真剣勝負ではないので、遊びのニュアンスがあっても抵抗がない。
Vì các trận đấu ngày nay không còn mang tính tranh tài nghiêm túc nên dù từ này có sắc thái vui chơi thì người ta cũng không cảm thấy e ngại khi sử dụng.
2. 試合は真剣勝負なので遊びのニュアンスが強い言葉を使うべきではない。
Vì các trận đấu là những cuộc tranh tài nghiêm túc nên không nên dùng một từ mang đậm sắc thái vui chơi.
3. 遊びというニュアンスが強いので、使用に抵抗があったのは不思議ではない。
Vì từ này từng mang đậm sắc thái “vui chơi”, nên việc trước đây người ta cảm thấy e ngại khi sử dụng nó cũng không có gì lạ.
4. 子供が遊びでやっているような試合に対してのみ使うべきだ。
Chỉ nên dùng từ này cho những trận đấu mang tính vui chơi như trò chơi của trẻ em.
Câu hỏi 「『ゲーム』という言葉について、筆者はどう考えていますか。」 hỏi quan điểm của tác giả về từ 「ゲーム」 và sự thay đổi trong cách sử dụng từ này.
Tác giả cho rằng việc dùng 「ゲーム」 để chỉ 「試合」 một cách bình thường là hiện tượng tương đối gần đây:
「『試合』のことを平気で『ゲーム』と言うようになったのは比較的最近のことではなかろうか。」
→ Có lẽ việc người ta bắt đầu thoải mái dùng 「ゲーム」 để gọi một trận đấu chỉ mới xuất hiện trong thời gian tương đối gần đây.
Lý do là trước đây 「ゲーム」 mang đậm sắc thái “trò chơi của trẻ em”:
「それまでは『ゲーム』と言うと子供の遊びというニュアンスが強かった。」
Trong khi đó, 「試合」 mà tác giả nói đến lại là một cuộc tranh tài mà người tham gia bước vào với tinh thần nghiêm túc:
「真剣勝負の気合いで臨む試合」
Vì vậy, trước đây việc dùng một từ mang sắc thái “trò chơi” như 「ゲーム」 để gọi một trận đấu nghiêm túc hẳn khiến người ta cảm thấy e ngại hoặc không tự nhiên:
「『ゲーム』ということばを使うのは抵抗があったことだろう。」
Do đó, đáp án 3 diễn đạt chính xác nhất ý của tác giả.
→ Đáp án 3 đúng.
Đáp án 2 không đúng vì tác giả không khẳng định rằng 「ゲーム」 là từ “không nên sử dụng” cho các trận đấu. Thực tế, ngay đầu đoạn văn tác giả đã nói hiện nay cách gọi 「ナイトゲーム」 cũng thường được nghe thấy. Tác giả chỉ giải thích vì sao trước đây người ta từng cảm thấy e ngại khi sử dụng 「ゲーム」 để chỉ một trận đấu nghiêm túc.
筆者は、街路樹はどのようなものだと言っていますか。
Tác giả cho rằng cây xanh đường phố là thứ thể hiện điều gì?
1. 街全体の品格や雰囲気が表れているものだ。
Là thứ thể hiện phẩm chất và diện mạo tổng thể của một thành phố.
2. 自治体の豊かさの程度が表れているものだ。
Là thứ thể hiện mức độ giàu có của chính quyền địa phương.
3. 住民の森や木への関心の深さを示すものだ。
Là thứ cho thấy mức độ quan tâm của người dân đối với rừng và cây cối.
4. 自治体の自然保護への取り組みを示すものだ。
Là thứ thể hiện những nỗ lực của chính quyền địa phương trong việc bảo vệ thiên nhiên.
Câu hỏi 「筆者は、街路樹はどのようなものだと言っていますか。」 hỏi tác giả nhìn nhận vai trò của cây xanh đường phố như thế nào.
Ý quan trọng nhất nằm ở câu:
「街路樹のよさがその街の品格を代弁する側面がある。」
「代弁する」 có nghĩa là thay cho một điều gì đó để thể hiện, nói lên điều đó. Vì vậy, tác giả cho rằng chất lượng và tình trạng của cây xanh đường phố có thể phần nào nói lên 「その街の品格」 – phẩm chất, diện mạo hay tầm vóc của chính thành phố đó.
Ngay sau đó, tác giả còn nói:
「街路樹をまったく大切にしない自治体があったとしたら、その自治体にはどこかに欠点があると言ってもいいだろう。」
→ Nếu có một chính quyền địa phương hoàn toàn không coi trọng cây xanh đường phố thì có thể nói rằng chính quyền địa phương đó có điểm nào đó chưa tốt.
Như vậy, cây xanh đường phố không đơn thuần chỉ là cây được trồng bên đường mà qua cách chúng được trồng và chăm sóc, người ta có thể phần nào cảm nhận được phẩm chất của cả thành phố.
→ Đáp án 1 đúng.
Đáp án 4 dễ gây nhầm vì đoạn văn có nhắc đến 「自治体」 và việc chính quyền địa phương có coi trọng cây xanh đường phố hay không. Tuy nhiên, tác giả không bàn cụ thể về các chính sách hay hoạt động 「自然保護」 – bảo vệ thiên nhiên. Ý trực tiếp được tác giả khẳng định là 「街路樹のよさがその街の品格を代弁する」, vì vậy đáp án 1 phù hợp nhất.
筆者の言いたいことは何ですか。
Điều tác giả muốn nói là gì?
1. 会話と情報伝達では外来語を使った円滑なコミュニケーションという意味が違う。
Trong hội thoại và trong việc truyền đạt thông tin, ý nghĩa của việc giao tiếp trôi chảy có sử dụng từ ngoại lai là khác nhau.
2. 外来語を多く使用した場合、話し手の意見ではなく別の人の意見となってしまう。
Nếu sử dụng quá nhiều từ ngoại lai thì nội dung đó sẽ không còn là ý kiến của người nói mà trở thành ý kiến của người khác.
3. 公共の情報で外来語を多用すると、理解できないために実害が発生する可能性がある。
Nếu sử dụng quá nhiều từ ngoại lai trong thông tin dành cho công chúng, việc nhiều người không hiểu có thể dẫn đến những ảnh hưởng hoặc thiệt hại thực tế.
4. わかりにくい外国語を使用すると、新聞や放送などへの信頼性はむしろ薄れる。
Nếu sử dụng những từ tiếng nước ngoài khó hiểu thì mức độ tin cậy đối với báo chí, phát thanh, truyền hình và các phương tiện truyền thông khác sẽ giảm đi.
Câu hỏi 「筆者の言いたいことは何ですか。」 yêu cầu xác định ý chính mà tác giả muốn truyền đạt.
Trước tiên, tác giả nêu vấn đề:
「会話や文章の中に外来語や外国語を多用すると円滑なコミュニケーションが妨げられる」
→ Nếu sử dụng quá nhiều từ ngoại lai hoặc tiếng nước ngoài trong hội thoại và văn bản thì việc giao tiếp thuận lợi có thể bị cản trở.
Tuy nhiên, tác giả phân biệt mức độ nghiêm trọng của vấn đề này tùy vào hoàn cảnh.
「『わかりにくさ』が個人的な問題で終わる分には害が少ない」
→ Nếu sự “khó hiểu” chỉ dừng lại ở vấn đề cá nhân thì tác hại còn ít.
Sau đó, tác giả nhấn mạnh:
「公共施設の掲示や官庁の広報紙、新聞や放送などに多くの人が理解できない外来語や外国語が並ぶとなると話は別である。」
→ Nhưng nếu những từ ngoại lai hoặc tiếng nước ngoài mà nhiều người không hiểu xuất hiện trong các thông tin mang tính công cộng như bảng thông báo tại cơ sở công cộng, ấn phẩm của cơ quan nhà nước, báo chí hay phát thanh truyền hình thì lại là chuyện khác.
「話は別である」 cho thấy tác giả coi trường hợp này nghiêm trọng hơn vấn đề khó hiểu giữa các cá nhân. Khi thông tin cần được truyền đạt rộng rãi đến công chúng nhưng lại chứa quá nhiều từ mà nhiều người không hiểu, điều đó có thể gây ra những ảnh hưởng thực tế.
→ Đáp án 3 đúng.
Đáp án 4 không đúng vì tác giả không nói rằng việc dùng tiếng nước ngoài khó hiểu làm giảm 「信頼性」 – độ tin cậy của báo chí hay truyền thông. Trọng tâm của đoạn văn là nguy cơ nhiều người không hiểu được những thông tin mang tính công cộng.
筆者はなぜはっとすることがあると言っていますか。
Tác giả cho rằng tại sao đôi khi chúng ta lại giật mình nhận ra một điều gì đó?
1. よく知っているものでも、初めて見たときのことを思い出すことがあるから。
Vì ngay cả với những thứ mình biết rõ, đôi khi chúng ta cũng nhớ lại lúc lần đầu tiên nhìn thấy chúng.
2. よく知っているはずのことが思い出せないことがあるから。
Vì đôi khi chúng ta không thể nhớ ra những điều mà lẽ ra mình phải biết rõ.
3. 珍しい経験の後では、よく知っていたものが新鮮に感じられるから。
Vì sau một trải nghiệm khác lạ, những thứ vốn đã quen thuộc lại có thể đem đến cảm giác mới mẻ.
4. 知っているつもりのことをよく知らなかったことに気づくから。
Vì chúng ta nhận ra rằng điều mình vẫn tưởng là đã biết rõ, thực ra lại chưa hiểu rõ.
Câu hỏi 「筆者はなぜはっとすることがあると言っていますか。」 hỏi nguyên nhân khiến chúng ta đôi khi 「はっとする」 – chợt giật mình, bất ngờ nhận ra một điều.
Tác giả trước tiên lấy ví dụ về những cảnh vật hằng ngày mà chúng ta đã quá quen thuộc. Đôi khi chúng bỗng trở nên mới mẻ như thể ta đang nhìn thấy lần đầu. Lúc đó, chúng ta nhận ra:
「眼でものを見ているつもりで、それでいて実は何も見ていなかった」
→ Chúng ta vẫn tưởng rằng hằng ngày mình đang nhìn mọi vật, nhưng thực ra lại chưa thực sự quan sát chúng.
Tác giả cho rằng đối với ngôn ngữ cũng tương tự:
「私たちは自分の使う言葉については何でも分かっているつもり」
→ Chúng ta vẫn tưởng rằng mình hiểu mọi thứ về những từ ngữ mà bản thân thường xuyên sử dụng.
Nhưng vào một dịp bất chợt:
「実はそれが勝手な思い込みであったことに気づいて、はっとすることがあります。」
→ Chúng ta nhận ra rằng điều mình vẫn cho là đã hiểu rõ thực chất chỉ là suy nghĩ chủ quan của bản thân, và khi đó mới chợt giật mình nhận ra.
Vì vậy, điều khiến chúng ta 「はっとする」 là nhận ra rằng thứ mình vẫn tưởng mình biết rõ thực ra lại chưa hiểu rõ như mình nghĩ.
→ Đáp án 4 đúng.
筆者はどうして困惑してしまうのですか。
Tại sao tác giả lại cảm thấy bối rối?
1. 不必要に意味や感情を表さない位置に置くのが難しいから。
Vì rất khó đặt tay ở một vị trí mà không vô tình thể hiện những ý nghĩa hay cảm xúc không cần thiết.
2. 手の位置によって、嘘をついているのがわかってしまうから。
Vì qua vị trí của bàn tay, người khác có thể nhận ra mình đang nói dối.
3. 顔より手のほうが過剰な表現が可能で、わざとらしい写真になるから。
Vì bàn tay có khả năng biểu đạt quá mức nhiều hơn khuôn mặt, khiến bức ảnh trở nên thiếu tự nhiên.
4. 手の位置がぎこちないと、自分の気持ちが十分に表現できないから。
Vì nếu vị trí của bàn tay gượng gạo thì không thể thể hiện đầy đủ cảm xúc của bản thân.
Câu hỏi 「筆者はどうして困惑してしまうのですか。」 hỏi tại sao tác giả lại bối rối không biết nên đặt tay ở đâu khi chụp ảnh.
Tác giả nói rằng dù để hai tay phía trước, phía sau hay buông hai bên người thì đều khó xử:
「手はまったくあつかいにこまるのだ。」
Sau đó, 「それというのも」 đưa ra nguyên nhân trực tiếp:
「手や指は否応なしに、その人間の意識の方向や意思や気分などをあらわしだすものであり」
→ Bàn tay và các ngón tay, dù bản thân có muốn hay không, vẫn thể hiện ra hướng chú ý, ý định, tâm trạng… của con người.
Đặc biệt, tác giả nói:
「その過剰な意味作用が人間のからだをわざとらしく、ぎこちないものにしてしまう」
→ Việc bàn tay mang quá nhiều ý nghĩa như vậy có thể khiến cơ thể trông cố ý, gượng gạo và thiếu tự nhiên.
Như vậy, tác giả bối rối vì bàn tay khó có thể được đặt ở một vị trí hoàn toàn trung tính. Dù đặt ở đâu, tay và ngón tay cũng có thể vô tình truyền tải một ý nghĩa, ý định hoặc tâm trạng nào đó, khiến tư thế trở nên không tự nhiên.
→ Đáp án 1 đúng.
Đáp án 3 dễ gây nhầm vì đoạn văn thực sự có 「過剰な意味作用」 và 「わざとらしく」. Tuy nhiên, tác giả không hề so sánh bàn tay với khuôn mặt. Chi tiết 「顔より手のほうが」 không có trong bài, nên đáp án này không đúng.
どうして顔から性格を判断することができるのですか。
Tại sao có thể phần nào phán đoán tính cách của một người qua khuôn mặt?
1. 性格によって顔のパーツの配置に特徴があるから。
Vì tùy theo tính cách mà cách sắp xếp các bộ phận trên khuôn mặt có những đặc điểm riêng.
2. 性格や気持ちが顔の表情に影響を与えるから。
Vì tính cách và trạng thái tâm lý có ảnh hưởng đến biểu hiện trên khuôn mặt.
3. 顔立ちによって人格形成に影響が出るから。
Vì đường nét khuôn mặt có ảnh hưởng đến quá trình hình thành nhân cách.
4. 顔立ちが環境に影響し、性格が変わるから。
Vì đường nét khuôn mặt tác động đến môi trường xung quanh, từ đó làm thay đổi tính cách.
Câu hỏi 「どうして顔から性格を判断することができるのですか。」 hỏi tại sao chúng ta có thể phần nào nhận biết tính cách như hướng nội hay hướng ngoại thông qua khuôn mặt.
Tác giả nói:
「特に目と眉が内側に寄っていると内向的に見える。」
→ Khi mắt và lông mày có xu hướng tập trung vào phía trong, người đó trông có vẻ hướng nội.
Tuy nhiên, tác giả không cho rằng tính cách quyết định vị trí cố định của các bộ phận trên khuôn mặt. Điều này được thể hiện rõ qua câu:
「顔の目や眉などのパーツが内側に寄っていることとは、何ら関係ないはずである。」
→ Vốn dĩ tính hướng nội không có mối liên hệ trực tiếp nào với việc các bộ phận như mắt và lông mày nằm gần về phía trong.
Điểm quan trọng nằm ở phần sau:
「考えごとをするときは、自然と顔が内側に寄る。眉間にもシワが寄る。」
→ Khi suy nghĩ điều gì đó, các nét trên khuôn mặt tự nhiên có xu hướng tập trung vào phía trong, đồng thời giữa hai lông mày cũng xuất hiện nếp nhăn.
Như vậy, trạng thái tâm lý và hoạt động tinh thần của con người được biểu hiện ra ngoài qua nét mặt. Chính những biểu hiện này khiến người khác có thể phần nào cảm nhận được tính cách của người đó.
→ Đáp án 2 đúng.
Đáp án 1 dễ gây nhầm vì bài có nhắc đến vị trí của mắt và lông mày. Tuy nhiên, tác giả đã nói rõ rằng bản thân vị trí các bộ phận trên khuôn mặt không trực tiếp liên quan đến tính hướng nội. Điều quan trọng là tâm trạng và hoạt động tinh thần làm thay đổi biểu hiện của khuôn mặt.
筆者がここで最も言いたいことは何ですか。
Điều tác giả muốn nói nhất ở đây là gì?
1. 最良の人生の選択は、目先の失敗から最良につながる道である。
Sự lựa chọn tốt nhất trong cuộc đời là con đường bắt đầu từ thất bại trước mắt rồi dẫn đến điều tốt đẹp nhất.
2. 最良の人生を選択するためには、楽天的であることが大切だ。
Để lựa chọn cuộc đời tốt nhất, điều quan trọng là phải sống lạc quan.
3. 人生の分岐点に立った時、容易な道ではなく困難な道を選ぶべきだ。
Khi đứng trước ngã rẽ của cuộc đời, nên chọn con đường khó khăn thay vì con đường dễ dàng.
4. 今現在の失敗にとらわれず、いつかは成功につながると考えて進むべきだ。
Không nên bị ám ảnh bởi thất bại ở hiện tại mà nên tiếp tục tiến về phía trước với suy nghĩ rằng một ngày nào đó thất bại ấy có thể dẫn đến thành công.
Câu hỏi 「筆者がここで最も言いたいことは何ですか。」 yêu cầu xác định thông điệp chính của toàn bộ đoạn văn.
Tác giả kể lại điều mình được người cha có tính cách lạc quan dạy:
「人は知らず知らずのうちに、最良の人生を選択している」
→ Con người, dù không nhận ra, vẫn đang lựa chọn con đường tốt nhất cho cuộc đời mình.
Từ cách suy nghĩ đó, tác giả cho rằng không nên chỉ nhìn vào kết quả ngay trước mắt:
「目先だけ見ると失敗でも、後で振り返った時、その失敗が成功につながる道であったりする。」
→ Một việc nếu chỉ nhìn vào trước mắt có thể là thất bại, nhưng khi nhìn lại sau này, chính thất bại ấy có thể là con đường dẫn đến thành công.
Tác giả còn cho rằng việc luôn tìm con đường ngắn nhất chưa chắc đã tốt:
「近道ばかり行こうとすると、そこに落とし穴があるかもしれない。少し遠回りした方が良いのかもしれません。」
→ Nếu chỉ cố đi đường tắt, có thể sẽ gặp cạm bẫy. Đôi khi đi đường vòng một chút lại tốt hơn.
Như vậy, điều tác giả muốn nhấn mạnh không phải là phải cố tình lựa chọn con đường khó khăn, cũng không phải cứ lạc quan thì sẽ chọn được cuộc đời tốt nhất. Ý chính là không nên đánh giá cuộc đời chỉ dựa vào thất bại trước mắt, bởi một thất bại hiện tại có thể trở thành một phần của con đường dẫn tới thành công sau này.
→ Đáp án 4 đúng.
Đáp án 2 dễ gây nhầm vì ngay đầu bài có 「楽天家の父」 và tác giả nói 「そう考えると、すべてが楽です」. Tuy nhiên, 「楽天家」 chỉ mô tả người cha, còn trọng tâm của đoạn văn là cách nhìn nhận những thất bại và đường vòng trong cuộc đời, chứ không phải khẳng định rằng phải có tính cách lạc quan mới lựa chọn được cuộc đời tốt nhất.
筆者は男性の料理をどう思っていますか。
Tác giả nghĩ như thế nào về việc nấu ăn của những người đàn ông được nói đến trong bài?
1. 無駄な努力である。
Đó là một sự nỗ lực vô ích.
2. 家族を満足させている。
Việc đó khiến gia đình hài lòng.
3. 実用的ではない。
Việc nấu ăn đó không mang tính thực tế.
4. 自立のために不可欠だ。
Việc đó là điều không thể thiếu để có thể tự lập.
Câu hỏi 「筆者は男性の料理をどう思っていますか。」 hỏi tác giả đánh giá như thế nào về cách nấu ăn của những người đàn ông được mô tả trong đoạn văn.
Tác giả cho biết khi những người đàn ông này nấu ăn, họ không quan tâm đến những vấn đề thực tế như:
「素材の値段やかかる時間、そして誰が後片付けをするか」
→ Giá nguyên liệu, thời gian cần bỏ ra và ai sẽ là người dọn dẹp sau khi nấu.
Nguyên nhân là:
「あくまで趣味なのですから」
→ Đối với họ, suy cho cùng nấu ăn chỉ là một sở thích.
Vì vậy, họ có thể sử dụng 「高価な肉」 – thịt đắt tiền, 「滅多に使わない香辛料」 – những loại gia vị hiếm khi dùng đến, đồng thời tạo ra rất nhiều lãng phí.
Không chỉ vậy:
「使い散らかされた道具を洗うのは、奥さんだったりする。」
→ Những dụng cụ bị dùng bừa bộn sau khi nấu đôi khi lại do người vợ rửa.
Như vậy, tác giả đang chỉ ra rằng kiểu nấu ăn này không tính đến chi phí, thời gian, sự lãng phí hay việc dọn dẹp sau đó. Nó mang tính sở thích hơn là một công việc nấu ăn thực tế trong đời sống hằng ngày.
→ Đáp án 3 đúng.
Đáp án 1 không chính xác vì tác giả có nói đến việc tạo ra nhiều 「無駄」, nhưng không nói bản thân sự nỗ lực nấu ăn là 「無駄な努力」. Điều tác giả phê phán là cách nấu ăn không tính đến những yếu tố thực tế.
この文章の内容と合っているものはどれか。
Nội dung nào dưới đây phù hợp với bài viết?
1.親友をつくる努力をしなかった人は、能力があっても成功しないことが多い。
Những người không nỗ lực tạo dựng tình bạn thân thiết thì dù có năng lực cũng thường không thành công.
2.能力があって、なおかつ親友ができるということは、幸運なことだ。
Vừa có năng lực, lại vừa có được bạn thân là một điều may mắn.
3.能力のある人で、なおかつ親友がいれば、必ず出世できる。
Nếu là người có năng lực và đồng thời có bạn thân thì nhất định sẽ thăng tiến.
4.能力のある人でも不遇な場合があるのは、不思議なことだ。
Việc ngay cả người có năng lực đôi khi cũng không gặp thời là một điều kỳ lạ.
Tác giả nói về những người có năng lực nhưng mãi vẫn không gặp thời:
「かなり能力のある人が何時まで経っても上昇気流に乗れず、奇妙に不遇であるという場合が少なくない。」
→ Không hiếm trường hợp người có năng lực nhưng mãi vẫn không thể nắm được đà đi lên và không gặp thời.
Sau đó, tác giả chỉ ra đặc điểm và nguyên nhân:
「そういう型は例外なく親友がいないのを特色とする。深く語らえる友を見出すための努力を怠ったせいである。」
→ Những người như vậy đều không có bạn thân, vì họ đã không nỗ lực tìm kiếm một người bạn có thể chia sẻ sâu sắc.
Vì vậy, đáp án 1 phù hợp nhất: dù có năng lực, người không nỗ lực tạo dựng tình bạn thân thiết vẫn thường không đạt được thành công.
Đáp án 2 sai vì 「幸運な出逢い」– “cuộc gặp gỡ may mắn” – chỉ việc hai người đều có mong muốn tìm kiếm bạn đã may mắn gặp được nhau, không phải “có năng lực và có bạn thân là may mắn”.
Đáp án 3 sai vì 「必ず出世できる」– “nhất định sẽ thăng tiến” – là khẳng định tuyệt đối mà bài không hề nói.
Đáp án 4 sai vì dù bài có 「奇妙に不遇」– “không gặp thời một cách kỳ lạ”, trọng tâm của tác giả là giải thích mối liên hệ giữa việc không có bạn thân và việc không nỗ lực tìm kiếm một người bạn có thể chia sẻ sâu sắc, chứ không chỉ nói rằng hiện tượng đó “kỳ lạ”.
Đáp án đúng: 1.親友をつくる努力をしなかった人は、能力があっても成功しないことが多い。
筆者の言いたいことは何か。
Điều tác giả muốn nói là gì?
1.近代日本の教育においては、教育の内容が問題とされている。
Trong nền giáo dục Nhật Bản hiện đại, nội dung giáo dục đang được xem là vấn đề.
2.近代日本の教育では、どのように教えられるかが問題である。
Trong nền giáo dục Nhật Bản hiện đại, cách thức giảng dạy là vấn đề.
3.日本の教育で問題とされるべきことは、義務教育制度そのものである。
Điều cần được xem xét như một vấn đề trong giáo dục Nhật Bản chính là bản thân chế độ giáo dục bắt buộc.
4.日本の教育には、寺子屋や私塾のようなもの以外の教育制度もある。
Trong giáo dục Nhật Bản còn có những chế độ giáo dục khác ngoài những hình thức như terakoya và trường tư thục.
Ngay đầu bài, tác giả chỉ ra rằng dù nội dung giáo dục thường được đem ra bàn luận, có một điều hầu như không bị nghi ngờ:
「その内容がいかに問題にされても、すこしも疑われていないのは、義務教育制度そのものである。」
→ Dù nội dung giáo dục có bị đặt thành vấn đề đến mức nào đi nữa, bản thân chế độ giáo dục bắt buộc vẫn hoàn toàn không bị đặt dấu hỏi.
Sau đó, tác giả nhấn mạnh điều mình thực sự cho là vấn đề:
「何がそこでどのように教えられるかではなく、この学制それ自体が問題なのだ」
→ Vấn đề không phải là ở đó dạy cái gì hay dạy như thế nào, mà chính bản thân chế độ giáo dục này mới là vấn đề.
Vì vậy, đáp án 3 thể hiện trực tiếp nhất quan điểm của tác giả: điều cần được đặt thành vấn đề chính là bản thân chế độ giáo dục bắt buộc.
Đáp án 1 sai vì 「教育の内容が問題にされている」– “nội dung giáo dục đang được đặt thành vấn đề” – đúng là hiện trạng được tác giả nhắc đến, nhưng không phải điều tác giả muốn nhấn mạnh.
Đáp án 2 sai vì tác giả nói rõ 「どのように教えられるかではなく」– “không phải là dạy như thế nào”.
Đáp án 4 sai vì phần nói về 「寺子屋」 và 「私塾」 nhằm phê phán cách nhìn lịch sử coi chúng như tiền thân đơn giản của hệ thống giáo dục hiện đại, chứ không nhằm khẳng định rằng Nhật Bản còn có những chế độ giáo dục khác.
Đáp án đúng: 3.日本の教育で問題とされるべきことは、義務教育制度そのものである。
援助行動がなされないのはなぜか。
Tại sao hành động giúp đỡ lại không được thực hiện?
1.相手が喜ぼうが喜ぶまいが、援助は自己満足に過ぎないから。
Vì bất kể đối phương có vui hay không, việc giúp đỡ cũng chỉ là để thỏa mãn bản thân.
2.動かないほうが、本来楽であり、人間は楽なほうを選びやすいから。
Vì vốn dĩ không hành động thì thoải mái hơn, và con người thường có xu hướng lựa chọn cách dễ dàng hơn.
3.緊急時にどう援助するかは、判断に時間を必要とする場合が多いから。
Vì trong tình huống khẩn cấp, việc quyết định nên giúp đỡ như thế nào thường cần nhiều thời gian.
4.互いに互いの行動をみていて、誰も動かない結果、緊急性なしと判断するから。
Vì mọi người đều quan sát hành động của nhau, kết quả là không ai hành động và từ đó họ phán đoán rằng tình huống không có tính khẩn cấp.
Tác giả cho rằng khi khó xác định một tình huống có thực sự khẩn cấp hay không, hành động của những người xung quanh trở thành yếu tố quan trọng để mỗi người đưa ra phán đoán:
「大きな要因となるのは周りの人の判断や行動である。その行動をみて、自分も判断する。」
→ Một yếu tố quan trọng là phán đoán và hành động của những người xung quanh. Người ta nhìn vào hành động của họ để tự đưa ra phán đoán.
Tuy nhiên, những người xung quanh cũng đang quan sát người khác:
「お互い、相手の行動をみていて動かない。」
→ Mọi người đều quan sát hành động của nhau và không ai hành động.
Kết quả là:
「誰も動かないので、動かないことが基準となって、緊急性はないという判断が働く。」
→ Vì không ai hành động nên việc mọi người không hành động trở thành căn cứ để phán đoán rằng tình huống không có tính khẩn cấp.
Vì vậy, đáp án 4 phù hợp nhất: mọi người quan sát lẫn nhau, không ai hành động, rồi chính sự không hành động đó khiến họ kết luận rằng tình huống không khẩn cấp.
Đáp án 1 sai vì 「自己満足に過ぎない」– “chỉ là sự thỏa mãn bản thân” – hoàn toàn không được đề cập trong bài.
Đáp án 2 sai vì bài không nói con người không giúp đỡ vì không hành động thì thoải mái hơn. Nguyên nhân là mọi người dựa vào hành động của người xung quanh để phán đoán tình huống.
Đáp án 3 sai vì bài có nói 「緊急を要する援助は判断が難しい」– “việc đưa ra phán đoán đối với sự giúp đỡ cần thiết trong tình huống khẩn cấp là khó”, nhưng không nói rằng mất nhiều thời gian để quyết định cách giúp đỡ là nguyên nhân khiến hành động giúp đỡ không được thực hiện.
Đáp án đúng: 4.互いに互いの行動をみていて、誰も動かない結果、緊急性なしと判断するから。
「そういうこと」とは、どういうことか。
「そういうこと」 – “điều như vậy” – ở đây có nghĩa là gì?
1.ある目標を犠牲にしてもなお実現させたい目標だけを実行すること
Chỉ thực hiện những mục tiêu mà bản thân vẫn muốn đạt được dù phải hy sinh một mục tiêu khác.
2.金と時間に見合った成果を予測して、目標に向け実行すること
Dự đoán kết quả tương xứng với tiền bạc và thời gian bỏ ra rồi thực hiện để hướng tới mục tiêu.
3.金や時間という犠牲を払っても、なんとか目標を実行すること
Dù phải hy sinh tiền bạc và thời gian, vẫn cố gắng bằng mọi cách để thực hiện mục tiêu.
4.目標が達成できなくなるというリスクを頭に入れながら実行すること
Thực hiện trong khi vẫn tính đến rủi ro rằng mục tiêu có thể không đạt được.
Tác giả cho rằng vì thời gian và tài sản có hạn nên khi lựa chọn làm một việc, thứ thực sự bị hy sinh là một mục tiêu khác mà vì lựa chọn đó ta không còn có thể thực hiện được:
「何かを行うときに犠牲になっているのは、突き詰めてみれば、それによって実現できなくなる別の目標なのです。」
→ Khi làm một việc, nếu xét đến cùng, thứ bị hy sinh chính là một mục tiêu khác không thể thực hiện được vì lựa chọn đó.
Vì vậy, trước khi quyết định, cần cân nhắc:
「それを行う替わりに何ができなくなり、何が手に入らなくなるかをきちんと考える。」
→ Phải suy nghĩ kỹ xem đổi lại việc thực hiện điều đó, mình sẽ không thể làm được gì và sẽ không thể có được điều gì.
Sau khi cân nhắc sự đánh đổi đó:
「そうした犠牲を払ってもなお実行する価値のあることだと判断したならば実行する。」
→ Nếu vẫn cho rằng việc đó đáng để thực hiện dù phải chấp nhận những sự hy sinh ấy, thì mới thực hiện.
Vì vậy, đáp án 1 phù hợp nhất: chỉ thực hiện mục tiêu mà mình cho rằng vẫn đáng để đạt được dù phải hy sinh một mục tiêu khác.
Đáp án 2 sai vì 「お金や時間」– “tiền bạc và thời gian” – chỉ là 「大切な目安」– “những thước đo quan trọng” để đánh giá sự hy sinh; tác giả còn nói chỉ dựa vào chúng có thể dẫn đến phán đoán không chính xác.
Đáp án 3 sai vì sự hy sinh mà tác giả muốn nhấn mạnh không đơn thuần là tiền bạc hay thời gian, mà là 「実現できなくなる別の目標」– “một mục tiêu khác sẽ không thể thực hiện được”.
Đáp án 4 sai vì bài không nói về 「リスク」– “rủi ro mục tiêu có thể thất bại”. Tác giả nói về sự đánh đổi giữa các mục tiêu: chọn thực hiện mục tiêu này thì phải từ bỏ khả năng thực hiện mục tiêu khác.
Đáp án đúng: 1.ある目標を犠牲にしてもなお実現させたい目標だけを実行すること
筆者は、自宅用マンションを購入する場合の買い時はどんな時だと述べているか。
Theo tác giả, khi mua căn hộ để bản thân ở thì thời điểm thích hợp để mua là khi nào?
1.仕事が安定し、マンションを買いたいと思った時
Khi công việc đã ổn định và bản thân muốn mua căn hộ.
2.マンションの供給が多い時期
Khi nguồn cung căn hộ trên thị trường nhiều.
3.タイミングが大事だとわかった時
Khi nhận ra rằng thời điểm là điều quan trọng.
4.誰でも住みやすい、いいマンションに出会えた時
Khi tìm được một căn hộ tốt mà bất kỳ ai cũng thấy dễ sống.
Câu hỏi hỏi về 自宅用マンション – căn hộ mua để bản thân ở.
Tác giả nói:
「仕事が安定して、予算や住みたい町、希望の間取りなどについて考えがまとまったなら、特に購入時期を迷う必要はないでしょう。」
→ Nếu công việc đã ổn định và đã xác định được ngân sách, nơi muốn sống, kiểu căn hộ mong muốn... thì không cần quá băn khoăn về thời điểm mua.
Ngoài ra:
「市場でいう買い時よりも、自分自身のタイミングを重視した人のほうが、たいていは満足のいく買い物ができるようです。」
→ Tác giả cho rằng nên coi trọng 自分自身のタイミング – thời điểm phù hợp với bản thân hơn là thời điểm tốt theo thị trường.
Vì vậy, khi công việc đã ổn định và bản thân đã sẵn sàng mua thì đó là thời điểm thích hợp.
Đáp án 2 マンションの供給が多い時期 – thời điểm nguồn cung căn hộ nhiều là lời khuyên dành cho trường hợp mua để sau này cho thuê, không phải mua để ở.
→ Đáp án 1 đúng.
地熱発電所について、筆者は何が必要だと述べているか。
Theo tác giả, điều gì là cần thiết đối với các nhà máy điện địa nhiệt?
1.新型の発電所を開発するだけの技術
Công nghệ đủ để phát triển một loại nhà máy điện mới.
2.発電所が安定稼働するまでの初期コスト
Chi phí ban đầu cho đến khi nhà máy điện đi vào vận hành ổn định.
3.基礎調査や建設をするための国の支援
Sự hỗ trợ của nhà nước để tiến hành khảo sát cơ bản và xây dựng.
4.地熱発電に適した地質の土地
Khu đất có đặc điểm địa chất phù hợp với phát điện địa nhiệt.
Tác giả cho biết việc phát triển điện địa nhiệt đòi hỏi chi phí lớn và mất khoảng 10 năm từ khảo sát đến khi vận hành nên:
「一企業には負担が大きすぎるのです。」
→ Gánh nặng này là quá lớn đối với một doanh nghiệp đơn lẻ.
Cuối đoạn, tác giả kết luận:
「国の政策次第では、今後最も期待できる発電事業だといえます。」
→ Tùy vào chính sách của nhà nước, đây có thể trở thành lĩnh vực phát điện đáng được kỳ vọng nhất trong tương lai.
Như vậy, để vượt qua những khó khăn trong khảo sát và xây dựng, cần có 国の支援 – sự hỗ trợ của nhà nước.
Đáp án 2 dễ gây nhầm vì bài có nói đến chi phí ban đầu lớn, nhưng đây chính là gánh nặng cần được giải quyết, chứ không phải điều tác giả cho rằng cần bổ sung.
→ Đáp án 3 đúng.
筆者は睡眠についてどのように考えているか。
Tác giả có suy nghĩ như thế nào về giấc ngủ?
1.睡眠時間が短くても生活に支障はない。
Dù thời gian ngủ ngắn cũng không gây trở ngại cho cuộc sống.
2.睡眠は多く取ることが望ましい。
Ngủ nhiều là điều đáng mong muốn.
3.人それぞれに適した睡眠時間がある。
Mỗi người có một thời lượng ngủ phù hợp với bản thân.
4.大人は皆、睡眠時間に特徴がある。
Tất cả người trưởng thành đều có những đặc điểm riêng về thời gian ngủ.
Quan điểm của tác giả được thể hiện rõ ở câu:
「どれくらいの睡眠時間を取るかは、自分自身と相談しながら自然に定まるべきものであり、短いほうがいいというものでは決してないのです。」
→ Ngủ bao nhiêu tiếng là điều nên được xác định một cách tự nhiên dựa trên tình trạng của chính bản thân, hoàn toàn không phải cứ ngủ ít hơn là tốt hơn.
Như vậy, mỗi người có 適した睡眠時間 – thời lượng ngủ phù hợp với bản thân.
Đáp án 2 dễ gây nhầm vì bài có nhắc Einstein ngủ trung bình 10 tiếng, nhưng tác giả không cho rằng ngủ càng nhiều càng tốt. Ví dụ về Napoleon và Einstein cho thấy thời gian ngủ có thể khác nhau ở mỗi người.
→ Đáp án 3 đúng.
このメール文は何についての文書か。
Email này là thông báo về vấn đề gì?
1.システム障害の発生の報告とお詫び
Báo cáo và xin lỗi về sự cố hệ thống đã xảy ra.
2.ホームページの一時利用中止の告知
Thông báo về việc tạm thời ngừng sử dụng trang web.
3.他のオンラインショップとの合併のお知らせ
Thông báo về việc sáp nhập với một cửa hàng trực tuyến khác.
4.店舗改装の工事計画と新店舗の案内
Thông báo về kế hoạch thi công cải tạo cửa hàng và giới thiệu cửa hàng mới.
Nội dung chính của email được thể hiện ở câu:
「サーバーのメンテナンスのため、当サイトの配信を一時停止させていただきます。その間、すべてのオンラインでの業務は受け付けができませんので、ご了承ください。」
→ Do bảo trì máy chủ, trang web sẽ tạm thời ngừng hoạt động. Trong thời gian đó, tất cả các dịch vụ trực tuyến đều không thể tiếp nhận.
Như vậy, đây là thông báo về ホームページの一時利用中止 – việc tạm thời ngừng sử dụng trang web.
Đáp án 1 dễ gây nhầm vì trang web ngừng hoạt động, nhưng nguyên nhân là サーバーのメンテナンス – bảo trì máy chủ, không phải do xảy ra sự cố hệ thống.
→ Đáp án 2 đúng.
筆者は、自転車通勤の時間をどんな時間として最も意義を感じているか。
Tác giả cảm thấy thời gian đi làm bằng xe đạp có ý nghĩa nhất như một khoảng thời gian như thế nào?
1.健康を維持するのに有効な時間
Khoảng thời gian có ích cho việc duy trì sức khỏe.
2.気の向くままに寄り道して楽しむ時間
Khoảng thời gian có thể tùy ý ghé qua những nơi mình thích để tận hưởng.
3.周りの景色を眺めながら四季を感じる時間
Khoảng thời gian cảm nhận bốn mùa trong khi ngắm nhìn cảnh vật xung quanh.
4.自由な気分を味わえる時間
Khoảng thời gian có thể tận hưởng cảm giác tự do.
Tác giả thừa nhận việc rèn luyện sức khỏe, ghé qua những nơi khác và cảm nhận mùa cũng là những lợi ích của việc đi làm bằng xe đạp, nhưng sau đó nhấn mạnh:
「しかし、私にとっての楽しみはそれに留まらない。」
→ Tuy nhiên, đối với tôi, niềm vui không chỉ dừng lại ở những điều đó.
Điều tác giả đặc biệt coi trọng được thể hiện ở cuối đoạn:
「少しの間だが、風を感じながらの一人旅は、ちょっとした解放感が得られ、とても気分がいいのである。」
→ Dù chỉ trong một khoảng thời gian ngắn, chuyến đi một mình trong khi cảm nhận làn gió mang lại một chút cảm giác được giải phóng, khiến tôi cảm thấy rất dễ chịu.
Vì vậy, điều tác giả cảm thấy có ý nghĩa nhất là 解放感 – cảm giác được giải phóng, tự do khi có khoảng thời gian một mình.
Các đáp án 1, 2 và 3 đều là những lợi ích thực sự được nhắc đến trong bài nên dễ gây nhầm, nhưng tác giả dùng しかし – tuy nhiên để chuyển sang điều mà bản thân đặc biệt coi trọng hơn.
→ Đáp án 4 đúng.
筆者は、若者が口げんかが下手になっているのはなぜだと考えているか。
Tác giả cho rằng tại sao giới trẻ ngày càng kém trong việc cãi nhau bằng lời?
1.けんかをしないよう、親にしつけられたから。
Vì được cha mẹ dạy dỗ rằng không được cãi nhau.
2.昔より賢くなって、けんかを避けるようになったから。
Vì trở nên thông minh hơn trước và biết tránh cãi nhau.
3.自分の気持ちの伝え方がよくわからないから。
Vì không biết rõ cách truyền đạt cảm xúc của bản thân.
4.学校に口げんかをする相手がいなくなったから。
Vì ở trường không còn người để cãi nhau bằng lời.
Tác giả cho rằng một trong những nguyên nhân là thiếu giao tiếp giữa cha mẹ và con cái. Kết quả là:
「そのような生活が続く中で、感情を言葉で表す術がわからなくなり、口より先に手が出てしまう子供」
→ Khi cuộc sống như vậy kéo dài, trẻ dần không biết cách thể hiện cảm xúc bằng lời nói và có thể dùng hành động trước cả lời nói.
Như vậy, do không biết 感情を言葉で表す術 – cách thể hiện cảm xúc bằng lời nói, các em không biết cách truyền đạt cảm xúc của mình khi xảy ra mâu thuẫn.
→ Đáp án 3 đúng.
本文の内容と合っているものはどれか。
Điều nào dưới đây phù hợp với nội dung bài đọc?
1.「早生」は、発芽の失敗が比較的多い。
Giống 早生 – giống chín sớm có tỷ lệ nảy mầm thất bại tương đối cao.
2.「晩生」は、収穫まで比較的長い時間がかかる。
Giống 晩生 – giống chín muộn mất thời gian tương đối dài cho đến khi thu hoạch.
3.5月に収穫する品種がある。
Có giống được thu hoạch vào tháng 5.
4.「中生」の芽は、鳥に食べられにくい。
Mầm của giống 中生 – giống chín trung bình ít bị chim ăn.
Về 晩生 – giống chín muộn, bài đọc nói:
「晩生は6月に種まきをし、9月ごろ収穫します。」
→ Giống chín muộn được gieo hạt vào tháng 6 và thu hoạch vào khoảng tháng 9.
Đồng thời:
「晩生は生育期間が長いので実が大きくなる」
→ Vì giống chín muộn có thời gian sinh trưởng dài nên quả phát triển lớn.
Như vậy, 晩生 cần thời gian tương đối dài từ khi gieo hạt đến khi thu hoạch.
Đáp án 4 dễ gây nhầm, nhưng bài nói いずれの品種にも共通する – điểm chung của tất cả các giống là trước khi nảy mầm đều dễ bị chim nhắm tới. Vì vậy 中生 – giống chín trung bình cũng không phải ngoại lệ.
→ Đáp án 2 đúng.
筆者は「自己親密行動」はどんなときに出る行動だといっているか。
Tác giả cho rằng 自己親密行動 – hành vi tự tiếp xúc thân mật với bản thân xuất hiện khi nào?
1.不安や恐怖を感じたとき
Khi cảm thấy bất an hoặc sợ hãi.
2.精神的な疲労をやわらげたいとき
Khi muốn làm giảm sự mệt mỏi về tinh thần.
3.集中力を高めようと思ったとき
Khi muốn nâng cao khả năng tập trung.
4.何かに打ち込み脳をよく使ったとき
Khi tập trung hết mình vào một việc gì đó và sử dụng não bộ nhiều.
Tác giả nói về thời điểm hành vi cắn móng tay xuất hiện:
「どうやら何かに没頭しているときにツメをかむようです。」
→ Có vẻ như người ta cắn móng tay khi đang tập trung, say mê vào một việc gì đó.
Đồng thời, hành vi này có tác dụng:
「活発になりすぎた脳の働きを落ち着かせる」
→ Làm dịu hoạt động của não khi nó trở nên quá mức tích cực.
Vì vậy, 自己親密行動 – hành vi tự tiếp xúc thân mật với bản thân xuất hiện khi một người đang tập trung vào việc gì đó và não hoạt động nhiều.
Đáp án 3 dễ gây nhầm, nhưng hành vi này không nhằm tăng khả năng tập trung; nó xuất hiện một cách vô thức để làm dịu hoạt động của não.
→ Đáp án 4 đúng.
筆者はどうして人々はうわさを流すと言っているか。
Tác giả cho rằng tại sao con người lại lan truyền tin đồn?
1.人と恐怖心を共有することによって、安心したいから。
Vì muốn cảm thấy yên tâm bằng cách chia sẻ nỗi sợ hãi với người khác.
2.特殊な状況に置かれて、冷静な判断ができなくなったから。
Vì bị đặt vào một tình huống đặc biệt nên không còn có thể phán đoán một cách bình tĩnh.
3.その情報が正しいかどうか多くの人と確かめたいから。
Vì muốn cùng nhiều người xác nhận xem thông tin đó có chính xác hay không.
4.不明瞭な事態の全体像を早く理解し、納得したいから。
Vì muốn nhanh chóng hiểu được toàn cảnh của một tình huống không rõ ràng và tìm được cách lý giải khiến bản thân có thể chấp nhận.
Nguyên nhân khiến tin đồn tự phát sinh được tác giả nói trực tiếp:
「自分たちの置かれている予測不能であいまいな事態に対して、一刻も早くそれを解釈しようとする気持ちがうわさを自然発生させるのである。」
→ Chính tâm lý muốn nhanh chóng lý giải tình huống khó dự đoán và mơ hồ mà mình đang phải đối mặt khiến tin đồn tự nhiên phát sinh.
Vì vậy, con người lan truyền tin đồn vì muốn nhanh chóng hiểu và lý giải 不明瞭な事態 – tình huống không rõ ràng, mơ hồ.
Đáp án 3 dễ gây nhầm, nhưng tác giả đã nói rõ tin đồn không nhất thiết xuất phát từ ý định muốn biết thông tin chính xác.
→ Đáp án 4 đúng.
筆者が理想とする「利己主義」とはどういったものか。
“Chủ nghĩa vị kỷ” mà tác giả xem là lý tưởng là như thế nào?
1.短期の利益ではなく、長い目で自分の利益を考えるもの
Không chỉ nghĩ đến lợi ích trước mắt mà suy xét lợi ích của bản thân về lâu dài.
2.人を幸せにしたいと願うことで自分も他人も幸せにするもの
Mong muốn làm cho người khác hạnh phúc, qua đó khiến cả bản thân và người khác đều hạnh phúc.
3.人の迷惑を顧みず、自分の思うままに生きようとするもの
Sống theo ý mình mà không quan tâm việc có gây phiền toái cho người khác hay không.
4.自分のことしか考えず、人とかかわらないように生きるもの
Chỉ nghĩ đến bản thân và sống sao cho không phải liên quan đến người khác.
Tác giả giải thích cách suy nghĩ của 利己主義 – chủ nghĩa vị kỷ mà mình hướng tới:
「目先の利益ではなく、後々の事も考えながらどうするのが自分にとって最善かを考えないといけないのだ。」
→ Không được chỉ nhìn vào lợi ích trước mắt mà phải nghĩ cả đến những chuyện về sau và cân nhắc điều gì là tốt nhất cho bản thân.
Vì vậy, tác giả coi trọng lợi ích của bản thân về lâu dài, chứ không chỉ lợi ích trước mắt.
Đáp án 3 dễ gây nhầm vì 利己主義 thường gợi đến việc chỉ làm theo ý mình. Tuy nhiên, tác giả nói rằng nếu không muốn nhận kết quả bất lợi cho bản thân thì cũng không thể tùy tiện gây phiền toái cho người khác.
→ Đáp án 1 đúng.