「自分の家から駅までの地図を描いてください」そういわれて、どの程度の地図が描けるだろうか。「これまで地図の読み方は学んできたが、地図の描き方は知らない」といわれるかもしれないが、正確でなくてもよいから、一度描いてみてほしい。
大学生のころ、心理学の授業で、この課題が出た。制限時間は20分で、描きながら自己嫌悪を感じていた。毎日歩き慣れた道なのに、よく行く店と、危ない交差点しか頭に浮かばず、その間の店や道などがまったく思い出せないことに気づいたのだった。距離感や方向感覚もデタラメで、いかに客観的にものを見ていないかということに気づかされた課題であった。
(中略)
地図には主題図(※1)と基本図があるが、自分で描く地図は主題図である。何をテーマに描くかは本人にゆだねられる(※2)。まったく自由に地図を描いた場合は、自分が気になっていることから描きはじめる。気になることが少なければ、地図の情報は少なくなる。いわば自分の価値観のなかにある「心の地図」がそこにはできあがるのだ。
逆にいえば、自分で地図を描こうと街やフィールド(※3)に出れば、日頃見ていないものを見ることになる。気づかなかった看板や植物を発見したりできるのだ。新しい価値を見つけるかもしれないし、改めて自分の視点に気づくかもしれない。
ヒマラヤ(※4)の8000メートル峰に単独で挑む友人に、地図とコンパス(※5)をどう使っているか聞いてみた。「コンパスは使うが、地図はあまり見ないなぁ」という答えが返ってきた。地図はたしかに役に立つが、地図に頼りすぎると、あまり周りの状況が感じられなくなる。登りのときにどんな場所を歩いているのか感じ取りながら歩けば大丈夫で、もし天候が悪くなったときのために、コンパスで角度だけは測っておくとのこと。つまり、歩きながら、自分の地図を描いていく。必要なものを頭に描き込んでいく。最初から地図とにらめっこすれば、頼りは地図だけになってしまう。①そのほうが危険かもしれない。
積極的に②自分の地図を描いてみよう。そのためには周りと自分をじっくりと見なければならない。
(※1)主題図:テーマをしぼって描かれている地図。観光地図、交通図など
(※2)ゆだねる:まかせる
(※3)フィールド:field、ここでは外を意味している
(※4)ヒマラヤ:the Himalaya Mountains、エベレスト山がある山脈
(※5)コンパス:東西南北を知るための道具
スピーチをするとき「ぜったいにあがるまい」と思うとよけいあがる。好きな人の前で、ふつうに振る舞おうとすればするほど、動作や言葉がぎこちなくなる。そういうことがよくある。懸命に努力しているのに、かえって結果がわるくなるのはなぜだろうか。
それは自然に反するからである。たとえば人前でしゃべり慣れていない人は、あがって当然であるにもかかわらず「あがるまい」とする。自然の法則に逆らうから、かえって結果はわるくなる。これを「①努力逆転の法則」という。
努力はただすれば報いられるものではなく、効果があるように工夫をしなければならない。ではどのように工夫するか。まず意志を捨てることである。「あがるまい」というのは意志だ。そのような意志をもってもあがるのは、意志とは別に「あがる自分」を想像しているからなのである。
②( )。だからいくら強固な意志をもっても、心の奥底ではそれと対の自分を想像してしまう。そして想像のほうが勝ってしまうのである。
意志をもつことは簡単だ。「きょうからタバコをやめよう」と思うのは意志である。意志をもつにいたった理由もきわめて理にかなっている。「タバコは健康によくない」「金銭的にもバカにならない」「他人を不愉快にする」「アメリカのエリートは吸わない」「やめれば女房も子供も喜ぶ」。これだけ立派な理由があって、確固たる意志を固めれば、やめられそうなものだ。
だが一服する自分のリラックスした姿を想像したとき、もうタバコに手が出ているのである。いくら意志を強固にしても想像にはかなわない。他のことについても同じことがいえる。いくら努力しても結果の出ない人は、努力する意志があることはまちがいないが、想像でそれを台無しにしているのだ。
人前であがらない最良の方法は「あがるまい」という意志を捨てることだ。あがって当然なのだから「きっとあがるだろう」でいいのである。ただし、そのあとでこう付け加える。「あがるけれども、きっとうまくいく」。これなら精神の緊張がほぐれるから、あがってしどろもどろながらも、人から好感をもたれる自分が想像できる。
(※1)あがる:頭に血が上って、普通の状態でいられなくなる
(※2)ぎこちない:不自然で、なめらかでない様子
(※3)きわめて理にかなう:非常にあたりまえである
(※4)一服する:タバコを吸って一休みする
(※5)台無し:全部だめにして役に立たなくなる
(※6)しどろもどろ:話し方にまとまりがなく、ばらばらな様子
これまでに一度だけ、友人に金を貸したことがある。もともと個人間での金の貸し借りはしないと決めているから、最初から返してもらうことは期待していなかった。こちらから返済を求めたことはない。向こうから「返さない」と言われたわけでもない。そんな中途半端な貸し金だ。
三ヶ月かけて車でオーストラリア大陸を横断するという旅の費用で、わずかな金額ではなかった。もちろん私は慈善家(※1)ではないから、金を出したのには理由がある。「①人生が変わるかどうか知りたかった」。
それ以前の何年か、彼は家庭でも、仕事でも不本意(※2)な状況に置かれていた。その苦しみがどれほどのものであったかは知らないが、彼はある日、すべてを投げ捨てて旅に出ることを決意し、その金を工面(※3)するために私のところにやってきた。彼はこの旅で、人生がやり直せると信じていた。
旅の目的は、誰もいない真夜中の砂漠で、赤い月とともに踊り明かすというものだった。こんな荒唐無稽な(※4)話になぜ魅かれたのか、自分でも不思議だった。
誰もが心のどこかで、人生をリセット(※5)したいと考えている。だが残念なことに、人生にはコンピュータゲームのようなリセットボタンはない。
私たちが暮らす高度化された資本主義社会では、人生を変えたいと望む人々のために、さまざまにコンビニエントな(※6)方法が用意されている。新興宗教(※7)、自己啓発セミナー(※8)、薬物などはどれも、人生をリセットするためのお手軽な道具の一種だ。(中略)
私たちは、これらの方法がすべて幻想(※9)であることを知っている。だがその一方で、どこかで人生を変える出来事を願ってもいる。(中略)
私にも、漂泊(※10)への抗いがたい(※11)憧憬(※12)がある。非日常の世界に身を投じたいという衝動(※13)がある。砂漠の月光の中で踊りたかったのは、②( )
(※1)慈善家:困っている人を助けるために、お金などを与える人
(※2)不本意な:自分が望んでいることと違って、満足できない
(※3)工面する:必要なお金を用意する
(※4)荒唐無稽な:現実にはありそうもない
(※5)リセット:それまでの状態を全部なくして、最初の状態に戻すこと
(※6)コンビニエントな:便利な
(※7)新興宗教:最近になって新しく生まれた宗教
(※8)自己啓発セミナー:自分の能力や生き方などをよりよくするための講習会
(※9)幻想:現実にはないことを、あると思うこと
(※10)漂泊:決まった場所に住まず、あちこちを旅すること
(※11)抗いがたい:我慢したり、抵抗したりすることが難しい
(※12)憧憬:強くあこがれること
(※13)衝動:強く心を動かされて、何かをしたくなる気持ち
自分を表現する日本語は数多い。ワタシ、ワタクシ、オレ、オイラ、ボク、小生、時代劇なら拙者(せっしゃ)、身(み)、それがし、などなど。英語にかぎらず、たいていの言語では、自分を表現する言葉は一つで済む。なぜ日本語には自分を示す言葉がたくさんあるのか。たくさんあるということは、じつは①「定まった私」なんて、ないということではないだろうか。
ジブンという言葉は、関西弁(※1)では相手を指すことがある。「ジブン、ニンジン嫌いやろ(※2)」などと、相手を指していう。関東で育った若者は、ひょっとすると、なんのことやら、意味がわからないであろう。むろんこれは、「アンタ、ニンジン嫌いだろ」という意味である。それならジブンは同時にアンタという意味である。
これに類する使い方は、ほかにもある。「手前」という言葉がそうである。江戸(※3)の店屋の番頭(※4)が揉み手(※5)をして、「手前どもでは」という光景なら、テレビの時代劇でやっているであろう。ところが下町の喧嘩になると、「テメー、この野郎」ということになる。このテメーは当然「手前」に由来するわけで、それならここでも、俺とお前は同じ言葉なのである。「これ自ら」というときの「おのれ」は自分だが、頭に血が上って怒り狂う(※6)と、「おのれ、許さん」とかいって、刀を振り回したりする。後のほうの「おのれ」は、「テメー、この野郎」のテメーと同じであろう。
あるいは小さい子に対して、「ボクちゃん、ダメよ、そんなことしちゃ」と叱っているオバさんがいる。ここでのボクも、②( )という意味である。これを外国人に説明しようと思うと、いささか(※7)頭痛がしてこないだろうか。
要するに日本語では、③俺とお前はどんどん行き来する。こんな言語がほかにあるかというのは、ほとんど愚問(※8)であろう。少なくとも私は、探す気にもならない。
(※1)関西弁:関西地方で使われている言葉
(※2)~やろ:~だろう、~でしょう
(※3)江戸:今の東京
(※4)番頭:その店の店員のいちばん上の人
(※5)揉み手:両手をすり合わせること
(※6)怒り狂う:ひどく怒る
(※7)いささか:少し
(※8)愚問:考えるまでもない、ばかばかしい質問
人間はいつからこんなに夜行性をつよめたのだろうか。もちろん昼間働くのが常態(※1)であるが、こと、知的活動になると、夜ときめてしまう。(中略)そして、いつのまにか、①「夜の信仰」(※2)とも言うべきものをつくりあげてしまった。
現代の若ものも当然のように宵っ張り(※3)の朝寝坊になって、勉強は夜でなくてはできないものと思いこんでいる。朝早く起きるなどと言えば、老人くさい、と笑われる始末である。
夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみると、おもしろい問題である。
夜、寝る前に書いた手紙を、朝、目をさましてから、読み返してみると、どうしてこんなことを書いてしまったのか、とわれながら不思議である。
外国で出た手紙の心得を書いた本に、感情的になって書いた手紙は、かならず、一晩そのままにしておいて、翌日、読みかえしてから投函(※4)せよ。一晩たってみると、そのまま出すのがためらわれることがすくなくない。そういう注意があった。現実的な知恵である。
それに、どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。夜、さんざんてこずって(※5)うまく行かなかった仕事があるとする。これはダメ。明日の朝にしよう、と思う。心のどこかで、「きょうできることをあすに延ばすな」ということわざが頭をかすめる。それをおさえて寝てしまう。
朝になって、もう一度、挑んで(※6)みる。すると、どうだ。ゆうべはあんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうではないか。昨夜のことがまるで夢のようである。
はじめのうちは、そういうことがあっても、偶然だと思っていた。夜の信者だったからであろう。やがて、②これはおかしいと考えるようになった。偶然にしては同じことがあまりにも多すぎる。おそまきながら、朝と夜とでは、同じ人間でありながら、人が違うことを思い知らされたというわけである。
(※1)常態:ふつうの様子
(※2)信仰:(宗教を)信じること
(※3)宵っ張り:夜遅くまで起きていること
(※4)投函:ハガキや手紙をポストに入れること
(※5)てこずる:あつかいに困る
(※6)挑む:がんばってやる
昔は、文盲(※1)である人が日本にもいた。「文盲」という言葉を使えば、差別語として新聞社は長い年月、直ちに書き直しか削除を命じて来た。しかしこれはなかなか優しい、美しい古い日本語だ。書かれた文字を見ても「眼の見えない人のように理解できない」ということを実に簡潔に言っている。①文盲も決してその人の素質ではない。むしろ社会的病状である。そのことを正面切って理解しようとしない人たちが異常な反応を示すのである。
文盲というと私はすぐ思い出す光景がある。もう二十年以上も前のマダガスカルの田舎である。痩せて小柄な女性が赤ん坊をおぶって、私の知人の日本人のシスター(※2)が働いているクリニック(※3)にやってきた。その時の相談の内容を私は全く覚えていない。看護師さんであるシスターが、フランス語でもない土地の部族の言葉で、机の上に置いた薬を前に何か説明した。それは週に一錠飲めばいい予防薬で、大人は四錠、抱いている子供にはその半分の二錠を飲ませる、ということだったのである。しかしその母はどうにも理解できないような曖昧な表情で、あげくの果てに弱々しい声で言った。
②「薬はもらって帰らずに、また次の週にここで飲ませてもらいます」
シスターは彼女を帰したが、その後でいささか溜め息まじりに事情を説明してくれた。この土地では、多くの人が半分という概念(※4)を持てないのだという。「来週また来ます」と言っても、家の在り処(※5)を聞くと十キロくらい離れているらしい。その距離を子供をおぶって、人によっては裸足で歩いて来るのは大変なことだ。裸足の足の裏は象並みに分厚く(※6)なっているから別に痛いということはないのだろうし、最近は確かに裸足人口も減って来ている。しかし、片道十キロずつ、往復二十キロを栄養不良の痩せた体で歩くのは、楽な仕事ではない。③薬を持って帰ればそんな思いをしなくてすむのに、それができないのである。
(※1)文盲:文字の読み書きができないこと
(※2)シスター:キリスト教を信じ、その教えに従って仕事をしている女性
(※3)クリニック:病院
(※4)概念:ものごとについての理解
(※5)在り処:あるところ
(※6)分厚く:厚いようす
先輩と後輩のどちらを大切にしたほうがいいのか。これは会社で働くうえで頭を悩ませる究極(※1)の選択のひとつ。もちろん両者とうまくやれればいいけど、そんなに器用な人間はなかなかいないものだ。(中略)まず、先輩のほうから見てみよう。確かに上司の受けがいいほうが、なにかと組織のなかでは有利である。仕事だってすすめやすいし、なにより、同じミスをしても風あたりがまるで違う。上司との折り合いが悪い(※2)と、職場は針のむしろ(※3)と化す。もちろん、うえからの引き立てというのは、昇進や出世にも有利に働く。
(中略)
やっぱり先輩を立てておいたほうが得なのだろうか。
けれども、今度は後輩の重要性を考えてみよう。まず、後輩は若くて、みなかわいい。いっしょに仕事をしていて、なんだか楽しい(これは見過ごされることが多いけど、とても大事だ)。上司は保護と監督を離れた位置からするけれど、後輩たちとはいっしょにチームを組んで現場の仕事をまわしていく。ともにすごす時間が長いのだ。上司ににらまれるのが針のむしろなら、部下たちから疎まれる(※4)のは、宙ぶらりん(※5)のつまはじき(※6)地獄である。
あらためて考えてみると、先輩は時がたつほど数が減っていく。会社などという竜宮城(※7)に入ると、五年、十年くらいの時間はあっという間である。気がつけば、後輩のほうが多数派になっているものなのだ。①そんなとき、上司のほうばかりむいていた人間はつらい。あの人はうえにだけ従順(※8)で、したの人間はないがしろにする(※9)。そんなシールが一回貼られてしまうと、組織の中では②バツがつけられたと同じなのだ。
さらに上司の引き立てで人より早くいいポジション(※10)を得るよりも、たとえ人より遅くとも部下から押し上げられて同じ地位に就いたほうが、③その後の仕事は断然うまく運ぶものだ。
やっぱり後輩を大切にしたほうがいいのだろうか。うーん、困ってしまうなあ。
(※1)究極:物事をよく考え、最後に出た答え
(※2)折り合いが悪い:人との関係が悪い
(※3)針のむしろ:人の心を傷つけようとする環境(むしろ:敷物の一種)
(※4)疎まれる:嫌われて仲間に入れてもらえない
(※5)宙ぶらりん:物事がどっちつかずで中途半端な様子
(※6)つまはじき:仲間に入れてもらえない
(※7)竜宮城:日本の昔話に出てくる、そこにいると時間がたつのがわからなくなる所
(※8)従順:さからわないで従うこと
(※9)ないがしろにする:軽く考えて大事にしない
(※10)ポジション:仕事上の地位
この課題が出たとあるが、どんな課題か。
Bài viết có nhắc đến việc được giao bài tập này, vậy đó là bài tập như thế nào?
1. 自分の家から駅までの地図を描く
Vẽ bản đồ từ nhà mình đến ga tàu.
2. 大学構内とその周辺の地図を描く
Vẽ bản đồ khuôn viên trường đại học và khu vực xung quanh.
3. 正確な地図の描き方を説明する
Giải thích cách vẽ bản đồ chính xác.
4. 地図の正しい読み方を説明する
Giải thích cách đọc bản đồ đúng.
Ngay đầu bài, tác giả đưa ra yêu cầu:
「自分の家から駅までの地図を描いてください」
→ Hãy vẽ bản đồ từ nhà mình đến ga tàu.
Sau đó, tác giả kể lại:
「大学生のころ、心理学の授業で、この課題が出た。」
→ Khi còn là sinh viên đại học, tác giả đã được giao bài tập này trong giờ học tâm lý học.
Như vậy, bài tập yêu cầu sinh viên tự vẽ bản đồ từ nhà đến ga tàu dựa trên trí nhớ, không yêu cầu phải vẽ chính xác.
→ Đáp án 1 đúng.
「そのほうが危険」とあるが、何をすると危険なのか。
Tác giả nói "Làm như vậy có thể nguy hiểm hơn", vậy làm gì thì nguy hiểm?
1. コンパスで角度を測りながら登ること
Vừa leo núi vừa dùng la bàn để đo phương hướng.
2. 登りながら必要な情報を感じ取ること
Vừa leo núi vừa quan sát và nhận biết những thông tin cần thiết.
3. 周りの状況を頭に入れながら登ること
Vừa leo núi vừa ghi nhớ tình hình xung quanh.
4. 地図の情報だけを頼りにして登ること
Leo núi mà chỉ dựa vào thông tin trên bản đồ.
Tác giả viết:
「最初から地図とにらめっこすれば、頼りは地図だけになってしまう。そのほうが危険かもしれない。」
→ Nếu ngay từ đầu cứ chăm chú nhìn bản đồ thì cuối cùng sẽ chỉ biết dựa vào bản đồ. Điều đó có thể còn nguy hiểm hơn.
Ngoài ra, tác giả cũng giải thích:
「地図に頼りすぎると、あまり周りの状況が感じられなくなる。」
→ Nếu quá phụ thuộc vào bản đồ thì sẽ khó nhận biết được tình hình xung quanh.
Điều nguy hiểm không phải là sử dụng bản đồ, mà là chỉ dựa vào bản đồ và bỏ qua việc quan sát thực tế khi leo núi.
→ Đáp án 4 đúng.
筆者はどうして「自分の地図を描いてみよう」と言っているのか。
Tại sao tác giả lại khuyên chúng ta "Hãy thử tự vẽ bản đồ của mình"?
1. 地図を描くことで、危ない交差点などが確認できるから。
Vì thông qua việc vẽ bản đồ, chúng ta có thể xác định được những giao lộ nguy hiểm và các địa điểm tương tự.
2. 地図を描くことによって、自分の価値観が見えてくるから。
Vì thông qua việc vẽ bản đồ, chúng ta có thể nhận ra những giá trị và điều mà bản thân coi trọng.
3. 地図が上手に描けないと、山登りをするときに危険だから。
Vì nếu không thể vẽ bản đồ giỏi thì sẽ gặp nguy hiểm khi leo núi.
4. 地図が描けない人は、距離感や方向感覚もデタラメだから。
Vì những người không biết vẽ bản đồ cũng có cảm nhận về khoảng cách và phương hướng rất kém.
Tác giả giải thích:
「いわば自分の価値観のなかにある『心の地図』がそこにはできあがるのだ。」
→ Có thể nói, bản đồ được vẽ ra chính là "bản đồ trong tâm trí", phản ánh những giá trị mà bản thân coi trọng.
Tác giả còn nhấn mạnh:
「新しい価値を見つけるかもしれないし、改めて自分の視点に気づくかもしれない。」
→ Chúng ta có thể phát hiện ra những giá trị mới, hoặc một lần nữa nhận ra góc nhìn của chính mình.
Khi tự vẽ bản đồ, mỗi người thường ưu tiên những địa điểm và sự vật mà mình quan tâm. Qua đó, chúng ta có thể hiểu rõ hơn cách bản thân quan sát thế giới và những điều mình coi trọng.
→ Đáp án 2 đúng.
「努力逆転の法則」の例として合っているものはどれか。
Ví dụ nào sau đây phù hợp với "quy luật nỗ lực phản tác dụng"?
1. やめようという強い意志があったが、タバコに手が出てしまった。
Mặc dù có ý chí mạnh mẽ muốn bỏ thuốc lá nhưng cuối cùng vẫn đưa tay lấy thuốc hút.
2. あがるまいと意志を強くもつように努力したら、あがらなくなった。
Khi cố gắng củng cố quyết tâm không hồi hộp thì đã không còn hồi hộp nữa.
3. あがって失敗してしまったが、努力が認められて、人からは好感をもたれた。
Mặc dù hồi hộp và thất bại nhưng nhờ nỗ lực được ghi nhận nên vẫn nhận được thiện cảm từ mọi người.
4. 自分でやめようと努力しなくても、家族の協力でタバコを吸わなくなった。
Dù bản thân không cố gắng bỏ thuốc nhưng nhờ sự giúp đỡ của gia đình nên đã không còn hút thuốc nữa.
Tác giả đưa ra ví dụ về việc bỏ thuốc lá:
「だが一服する自分のリラックスした姿を想像したとき、もうタバコに手が出ているのである。」
→ Nhưng khi tưởng tượng ra hình ảnh bản thân thư giãn trong lúc hút thuốc, người đó đã vô thức đưa tay lấy thuốc.
Tác giả giải thích thêm:
「いくら意志を強固にしても想像にはかなわない。」
→ Dù ý chí có mạnh mẽ đến đâu cũng không thắng nổi sức mạnh của sự tưởng tượng.
Đây chính là quy luật nỗ lực phản tác dụng: càng quyết tâm thực hiện một điều gì đó nhưng lại tưởng tượng đến kết quả trái ngược, thì hành động càng dễ đi ngược với ý chí ban đầu.
Trong ví dụ này, người đó quyết tâm bỏ thuốc nhưng vẫn tưởng tượng cảm giác dễ chịu khi hút thuốc, nên cuối cùng lại tiếp tục hút.
→ Đáp án 1 đúng.
Tác giả viết ngay sau chỗ trống:
「だからいくら強固な意志をもっても、心の奥底ではそれと対の自分を想像してしまう。そして想像のほうが勝ってしまうのである。」
→ Vì vậy, dù có ý chí mạnh mẽ đến đâu, sâu thẳm trong lòng chúng ta vẫn tưởng tượng ra một bản thân trái ngược với ý chí đó. Và cuối cùng, sự tưởng tượng lại chiến thắng.
Đặc biệt, từ だから (vì vậy) cho thấy câu đứng trước phải là một nhận định dẫn đến kết luận phía sau.
Câu 2 nói rằng khi ý chí và sự tưởng tượng đối đầu nhau, sự tưởng tượng luôn chiến thắng, hoàn toàn phù hợp với lập luận của tác giả.
→ Đáp án 2 đúng.
筆者がこの文章で一番言いたいことはどんなことか。
Điều tác giả muốn truyền đạt nhất qua bài viết này là gì?
1. 意志と想像力の両方を強くしなければ、よい結果は出ない。
Nếu không củng cố cả ý chí lẫn khả năng tưởng tượng thì sẽ không đạt được kết quả tốt.
2. 意志にそった結果を出すためには、よい想像に結びつく工夫が必要だ。
Để đạt được kết quả đúng với ý chí của mình, cần tìm cách hướng sự tưởng tượng đến những kết quả tích cực.
3. 強い意志をもっても結果は出ないが、失敗から想像力が生まれる。
Dù có ý chí mạnh mẽ cũng không đạt được kết quả, nhưng khả năng tưởng tượng sẽ hình thành từ thất bại.
4. 努力する意志があっても想像は変えられないから、工夫しても無駄だ。
Dù có ý chí nỗ lực cũng không thể thay đổi sự tưởng tượng, vì vậy cố gắng tìm cách cải thiện cũng vô ích.
Tác giả nhấn mạnh:
「努力はただすれば報いられるものではなく、効果があるように工夫をしなければならない。」
→ Không phải cứ nỗ lực là sẽ được đền đáp, mà cần tìm cách nỗ lực sao cho mang lại hiệu quả.
Ở cuối bài, tác giả đưa ra phương pháp cụ thể:
「『あがるけれども、きっとうまくいく』。これなら精神の緊張がほぐれるから、あがってしどろもどろながらも、人から好感をもたれる自分が想像できる。」
→ "Dù có hồi hộp nhưng chắc chắn mọi chuyện sẽ diễn ra tốt đẹp." Nghĩ như vậy sẽ giúp giảm căng thẳng, và dù có hồi hộp, nói năng lúng túng, ta vẫn có thể tưởng tượng ra hình ảnh bản thân nhận được thiện cảm từ người khác.
Như vậy, tác giả không phủ nhận giá trị của sự nỗ lực mà muốn nhấn mạnh rằng chỉ có ý chí mạnh mẽ là chưa đủ; cần điều chỉnh cách suy nghĩ và hướng sự tưởng tượng đến kết quả tích cực.
→ Đáp án 2 đúng.
「人生が変わるかどうか知りたかった」とは、誰の人生が変わるのか。
Trong câu "Tôi muốn biết liệu cuộc đời có thay đổi hay không", cuộc đời được nhắc đến là của ai?
1. 金を借りた友人の人生
Cuộc đời của người bạn đã vay tiền.
2. 金を貸した私の人生
Cuộc đời của tôi, người đã cho vay tiền.
3. 金を貸した私とその友人の人生
Cuộc đời của cả tôi, người cho vay tiền, và người bạn đó.
4. 現在生活している一般の人々の人生
Cuộc đời của những người bình thường đang sống trong xã hội hiện nay.
Tác giả giải thích hoàn cảnh của người bạn:
「彼はある日、すべてを投げ捨てて旅に出ることを決意し、その金を工面するために私のところにやってきた。彼はこの旅で、人生がやり直せると信じていた。」
→ Một ngày nọ, người bạn quyết định từ bỏ tất cả để lên đường du lịch và đến gặp tác giả nhằm xoay xở tiền bạc. Anh ấy tin rằng chuyến đi này có thể giúp mình bắt đầu lại cuộc đời.
Vì người bạn đang gặp khó khăn trong gia đình và công việc, tác giả muốn biết liệu chuyến đi có thực sự làm thay đổi cuộc đời của người bạn hay không.
→ Đáp án 1 đúng.
②「 」に入る文章で最もよいものを選びなさい。
Hãy chọn câu thích hợp nhất để điền vào chỗ trống ở vị trí số 2.
1. 私ではなく、彼自身だったのだ。
Không phải tôi mà chính là người bạn ấy.
2. 彼ではなく、私自身だったのだ。
Không phải người bạn ấy mà chính là bản thân tôi.
3. 私ではなく、一般の人々だったのだ。
Không phải tôi mà là những người bình thường nói chung.
4. 彼ではなく、一般の人々だったのだ。
Không phải người bạn ấy mà là những người bình thường nói chung.
Ở cuối bài, tác giả thừa nhận:
「私にも、漂泊への抗いがたい憧憬がある。非日常の世界に身を投じたいという衝動がある。」
→ Bản thân tôi cũng có một niềm khao khát mãnh liệt, khó cưỡng lại đối với cuộc sống phiêu bạt. Tôi cũng có thôi thúc muốn bước vào một thế giới khác với cuộc sống thường ngày.
Ngay sau đó là câu:
「砂漠の月光の中で踊りたかったのは、②( )」
→ Người thực sự muốn nhảy múa dưới ánh trăng giữa sa mạc là...
Ban đầu, tác giả kể về người bạn muốn đến sa mạc để thay đổi cuộc đời. Nhưng đến cuối bài, tác giả nhận ra rằng chính mình cũng có khát vọng thoát khỏi cuộc sống thường ngày và trải nghiệm một thế giới khác.
Vì vậy, người thực sự muốn nhảy múa dưới ánh trăng sa mạc không chỉ là người bạn, mà sâu xa hơn chính là tác giả.
→ Đáp án 2 đúng.
この文章の著者の気持ちといちばん近いものはどれか。
Đáp án nào gần nhất với suy nghĩ và cảm xúc của tác giả trong bài viết này?
1. 人生を変えるのは難しいが、誰でもそういう気持ちがあり、それを実現させるために努力しなければいけない。
Thay đổi cuộc đời là điều khó khăn, nhưng ai cũng có mong muốn đó và phải nỗ lực để biến mong muốn ấy thành hiện thực.
2. 人生を変えるためには自己啓発セミナーや薬物などあるが、それらより、長期の旅行が一番だ。
Có nhiều cách để thay đổi cuộc đời như tham gia các khóa học phát triển bản thân hay sử dụng chất kích thích, nhưng đi du lịch dài ngày là cách tốt nhất.
3. 人生を変えるために旅行やいろいろな方法があるが、ゲームのようなリセットボタンがないので大変だ。
Có nhiều cách để thay đổi cuộc đời như đi du lịch và những phương pháp khác, nhưng vì cuộc sống không có nút đặt lại như trò chơi điện tử nên việc đó rất khó khăn.
4. 人生を変えることは簡単ではないとわかっているが、人生が変わればいいと願っている自分がいる。
Dù biết rằng thay đổi cuộc đời không phải chuyện dễ dàng, nhưng trong lòng tôi vẫn có một phần mong muốn cuộc đời mình sẽ thay đổi.
Tác giả viết:
「人生にはコンピュータゲームのようなリセットボタンはない。」
→ Cuộc đời không có nút đặt lại như trong trò chơi điện tử.
Tác giả cũng thừa nhận:
「私たちは、これらの方法がすべて幻想であることを知っている。だがその一方で、どこかで人生を変える出来事を願ってもいる。」
→ Chúng ta biết rằng tất cả những phương pháp ấy đều chỉ là ảo tưởng. Thế nhưng, ở một góc nào đó trong lòng, chúng ta vẫn mong có một sự kiện nào đó xảy ra để thay đổi cuộc đời mình.
Điều tác giả muốn thể hiện là mâu thuẫn giữa lý trí và khát vọng: dù hiểu rằng không thể dễ dàng bắt đầu lại cuộc đời, bản thân vẫn luôn mong muốn có một cơ hội để thay đổi.
→ Đáp án 4 đúng.
①「定まった私」なんて、ないというのはどういうことか。正しいと思うものを一つ選びなさい。
Câu nói "Không có cái tôi cố định" có nghĩa là gì? Hãy chọn một đáp án mà bạn cho là đúng.
1. 日本語の自分を表現する言葉はとても多く、どれを使用するかが難しくて間違えやすい。
Trong tiếng Nhật có rất nhiều từ dùng để chỉ bản thân, nên khó lựa chọn từ nào để sử dụng và rất dễ dùng sai.
2. 自分を表現する言葉は、決まっておらず、意味がわからないので外国人には難しい。
Những từ dùng để chỉ bản thân không được quy định cố định và có ý nghĩa khó hiểu, nên rất khó đối với người nước ngoài.
3. 日本人が自分のことをどう表現するかがあまりうまいとは言えないのは、自分を表現する言葉が一つではないからだ。
Người Nhật không hẳn giỏi trong việc diễn đạt về bản thân vì có nhiều từ dùng để chỉ bản thân chứ không chỉ có một từ duy nhất.
4. 日本語の自分を表現する言葉は、時々相手のことだったりして、一つに決まっているわけではない。
Trong tiếng Nhật, những từ dùng để chỉ bản thân đôi khi lại được dùng để chỉ đối phương, nên cách sử dụng chúng không cố định chỉ theo một nghĩa.
Tác giả viết:
「ジブンという言葉は、関西弁では相手を指すことがある。」
→ Trong phương ngữ Kansai, từ ジブン (bản thân) đôi khi được dùng để chỉ đối phương.
Ngoài ra, tác giả kết luận:
「要するに日本語では、『俺』と『お前』はどんどん行き来する。」
→ Tóm lại, trong tiếng Nhật, những từ chỉ "tôi" và "bạn" có thể chuyển đổi qua lại với nhau.
Điều này cho thấy những từ vốn dùng để chỉ bản thân trong tiếng Nhật không phải lúc nào cũng chỉ người nói, mà tùy ngữ cảnh còn có thể chỉ người nghe.
Vì vậy, 「定まった私」なんて、ない muốn nói rằng cách sử dụng các từ xưng hô trong tiếng Nhật không hoàn toàn cố định.
→ Đáp án 4 đúng.
②「ボク」について、文中の に入るものとして、最もいいものを選びなさい。
Đối với từ 「ボク」, hãy chọn đáp án thích hợp nhất để điền vào chỗ trống trong đoạn văn.
1. 小さい子
Đứa trẻ nhỏ.
2. アンタ
Bạn, cậu (cách gọi đối phương mang sắc thái thân mật hoặc suồng sã).
3. 私
Tôi.
4. 自分
Bản thân mình.
Tác giả đưa ra ví dụ:
「あるいは小さい子に対して、**『ボクちゃん、ダメよ、そんなことしちゃ』**と叱っているオバさんがいる。」
→ Hoặc có một người phụ nữ lớn tuổi đang mắng một đứa trẻ: "Này cháu, không được làm như vậy đâu!"
Trước đó, tác giả đã giải thích:
「それならジブンは同時にアンタという意味である。」
→ Như vậy, ジブン đồng thời cũng mang nghĩa là アンタ (cậu, bạn).
Thông thường, ボク là đại từ ngôi thứ nhất, nghĩa là "tôi", thường được nam giới sử dụng. Nhưng trong tình huống này, người phụ nữ dùng ボク để gọi đứa trẻ đang nghe mình nói, tức là chỉ đối phương.
Vì vậy, từ thích hợp để điền vào chỗ trống là アンタ, chứ không phải 私 hay 自分.
→ Đáp án 2 đúng.
③「俺とお前はどんどん行き来する」とはどういうことか。
Câu nói "Tôi và bạn liên tục chuyển đổi qua lại với nhau" có nghĩa là gì?
1. 自分と相手と自分を表す言葉によって交流が多い。
Bản thân và đối phương thường xuyên giao tiếp với nhau thông qua những từ dùng để chỉ bản thân.
2. 時代の変化により自分を表す言葉はどんどん変わってきた。
Những từ dùng để chỉ bản thân đã liên tục thay đổi theo sự biến chuyển của thời đại.
3. 自分を表す言葉で自分のことを言ったり、相手のことを言ったりする。
Những từ dùng để chỉ bản thân có khi được dùng để nói về chính mình, có khi lại được dùng để chỉ đối phương.
4. 日本人同士は日本語をとても理解しているが、外国人には難しい。
Người Nhật hiểu tiếng Nhật rất rõ khi giao tiếp với nhau, nhưng đối với người nước ngoài thì điều đó rất khó khăn.
Tác giả giải thích cách dùng của từ 「手前」:
「このテメーは当然『手前』に由来するわけで、それならここでも、俺とお前は同じ言葉なのである。」
→ Từ テメー đương nhiên bắt nguồn từ 「手前」, vì vậy ở đây "tôi" và "bạn" cũng được biểu thị bằng cùng một từ.
Tác giả còn đưa ra ví dụ với 「おのれ」: khi dùng để nói về bản thân thì mang nghĩa "chính mình", nhưng khi tức giận và nói 「おのれ、許さん」 thì lại mang nghĩa chỉ đối phương.
Như vậy, 「行き来する」 ở đây không nói về sự giao tiếp hay thay đổi theo thời đại, mà chỉ hiện tượng một từ có thể được dùng để chỉ người nói hoặc người nghe tùy theo ngữ cảnh.
→ Đáp án 3 đúng.
①「夜の信仰」とも言うべきものをつくりあげてしまったとあるが、「夜の信仰」とはどういうことか。
Trong bài có nói rằng con người đã hình thành một thứ có thể gọi là "niềm tin vào ban đêm". Vậy "niềm tin vào ban đêm" có nghĩa là gì?
1. 夜働き、朝や昼に睡眠をとること
Làm việc vào ban đêm và ngủ vào buổi sáng hoặc ban ngày.
2. 若者と同じような生活をすること
Sinh hoạt giống như những người trẻ tuổi.
3. 老人のような生活をすること
Sinh hoạt giống như người cao tuổi.
4. 勉強や考えることは夜のほうがいいと思うこと。
Cho rằng học tập và suy nghĩ vào ban đêm sẽ tốt hơn.
Tác giả viết:
「もちろん昼間働くのが常態であるが、こと、知的活動になると、夜ときめてしまう。」
→ Tất nhiên, làm việc vào ban ngày là điều bình thường, nhưng riêng đối với các hoạt động trí óc, người ta lại mặc định rằng phải thực hiện vào ban đêm.
Tác giả cũng nhận xét về giới trẻ:
「勉強は夜でなくてはできないものと思いこんでいる。」
→ Họ tin chắc rằng việc học chỉ có thể thực hiện vào ban đêm.
Như vậy, 「夜の信仰」 không phải là một tín ngưỡng tôn giáo thực sự, mà là cách nói ẩn dụ về niềm tin cố hữu rằng ban đêm thích hợp hơn cho việc học tập và suy nghĩ.
→ Đáp án 4 đúng.
②「これはおかしい」とあるが、「これ」とは何か。
Trong câu "Điều này thật kỳ lạ", từ 「これ」 (điều này) chỉ điều gì?
1. 外国で出た手紙の心得を書いた本の内容について
Nội dung của một cuốn sách nước ngoài viết về những điều cần lưu ý khi viết thư.
2. 「きょうできることをあすに延ばすな」ということわざ
Câu tục ngữ "Việc hôm nay chớ để ngày mai".
3. 夜、手におえないことが、朝だと簡単にできてしまうことが何回かあったこと。
Việc nhiều lần xảy ra tình huống một vấn đề không thể giải quyết vào ban đêm lại được xử lý dễ dàng vào buổi sáng.
4. 朝と夜では、夜の方がいい考えが浮かぶこと
So với buổi sáng, ban đêm dễ nảy ra những ý tưởng hay hơn.
Tác giả kể lại trải nghiệm:
「ゆうべはあんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうではないか。」
→ Những vấn đề tối hôm trước còn khó giải quyết đến vậy, thế mà sáng hôm sau lại được xử lý một cách dễ dàng, trôi chảy.
Sau đó, tác giả viết:
「偶然にしては同じことがあまりにも多すぎる。」
→ Nếu chỉ là ngẫu nhiên thì những chuyện giống như vậy đã xảy ra quá nhiều lần.
Ban đầu, tác giả cho rằng việc giải quyết vấn đề dễ dàng hơn vào buổi sáng chỉ là sự trùng hợp. Tuy nhiên, khi hiện tượng ấy lặp lại nhiều lần, tác giả bắt đầu cảm thấy kỳ lạ.
Vì vậy, 「これ」 chỉ hiện tượng những công việc khó giải quyết vào ban đêm lại trở nên dễ dàng vào buổi sáng, và điều đó xảy ra nhiều lần.
→ Đáp án 3 đúng.
筆者がこの文章でいちばん言いたいことはどんなことか。
Điều tác giả muốn truyền đạt nhất qua bài viết này là gì?
1. 夜行性の人が増えているが、老人のようだと言われても、朝働いたほうが効率もいいし健康にもいい。
Số người sinh hoạt về đêm đang tăng lên, nhưng dù bị cho là giống người già, làm việc vào buổi sáng vẫn hiệu quả hơn và tốt cho sức khỏe hơn.
2. 知的活動は夜する習慣があったが、朝のほうが効率よく考えることがわかった。
Trước đây người ta có thói quen thực hiện các hoạt động trí óc vào ban đêm, nhưng tác giả nhận ra rằng suy nghĩ vào buổi sáng hiệu quả hơn.
3. 手紙の心得を書いた外国の本を読んで、手紙は一晩おいて翌日読み返して出したほうがいいとわかった。
Sau khi đọc một cuốn sách nước ngoài hướng dẫn cách viết thư, tác giả nhận ra rằng nên để thư qua một đêm, đọc lại vào hôm sau rồi mới gửi.
4. 朝、知的活動をすることは決して老人くさいことではないので、若者も生活を変えたほうがいい。
Hoạt động trí óc vào buổi sáng hoàn toàn không phải là thói quen của người già, vì vậy giới trẻ cũng nên thay đổi lối sống.
Tác giả nhận xét:
「それに、どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。」
→ Hơn nữa, có vẻ như đầu óc vào buổi sáng hoạt động tốt hơn so với ban đêm.
Ở cuối bài, tác giả kết luận:
「朝と夜とでは、同じ人間でありながら、人が違うことを思い知らされたというわけである。」
→ Tác giả đã nhận ra rằng dù vẫn là cùng một con người, nhưng khả năng suy nghĩ vào buổi sáng và ban đêm lại khác nhau đến mức như hai người khác nhau.
Qua những trải nghiệm thực tế, tác giả nhận thấy các hoạt động trí óc vào buổi sáng có thể mang lại hiệu quả tốt hơn ban đêm, trái với quan niệm lâu nay rằng học tập và suy nghĩ nên thực hiện vào ban đêm.
Các ví dụ về viết thư hay giải quyết công việc chỉ nhằm chứng minh nhận định này, chứ không phải thông điệp chính của bài.
→ Đáp án 2 đúng.
①「文盲も決してその人の素質ではない。むしろ社会的病状である」とあるが、筆者の言いたいことはどういうことか。
Trong bài có câu "Việc không biết đọc, biết viết hoàn toàn không phải là đặc tính bẩm sinh của một người. Đúng hơn, đó là một vấn đề mang tính xã hội". Tác giả muốn nói điều gì?
1. 文盲というのは生まれ持ったものではなく、その人の責任でもないので、取り上げる必要はない。
Việc không biết đọc, biết viết không phải là điều bẩm sinh và cũng không phải trách nhiệm của cá nhân đó, nên không cần phải đề cập đến vấn đề này.
2. 文盲というのは生まれ持ったものではなく、文盲をつくり出す社会に問題がある。
Việc không biết đọc, biết viết không phải là điều bẩm sinh, mà vấn đề nằm ở chính xã hội đã tạo ra tình trạng đó.
3. 文盲というのは生まれ持ったものではないので、差別語として考えるのはおかしい。
Vì việc không biết đọc, biết viết không phải là điều bẩm sinh nên việc xem từ này là một từ ngữ mang tính phân biệt đối xử là không hợp lý.
4. 文盲というのは生まれ持ったものではないので、文盲という言葉をもっと普通に使うべきだ。
Vì việc không biết đọc, biết viết không phải là điều bẩm sinh nên cần sử dụng từ 文盲 một cách phổ biến hơn.
Tác giả khẳng định:
「文盲も決してその人の素質ではない。むしろ社会的病状である。」
→ Việc không biết đọc, biết viết hoàn toàn không phải là đặc tính bẩm sinh của cá nhân, mà đúng hơn là một vấn đề mang tính xã hội.
Ở đây, 「素質」 chỉ những đặc điểm hoặc khả năng vốn có của một người, còn 「社会的病状」 nhấn mạnh rằng tình trạng không biết chữ bắt nguồn từ những vấn đề trong xã hội.
Tác giả muốn nói rằng nguyên nhân không nằm ở bản chất hay năng lực bẩm sinh của người không biết chữ, mà ở hoàn cảnh xã hội khiến họ không có điều kiện học đọc, học viết.
→ Đáp án 2 đúng.
②「薬はもらって帰らずに、また次の週にここで飲ませてもらいます」とあるが、どうしてか。
Người mẹ nói: "Tôi sẽ không nhận thuốc mang về mà tuần sau sẽ lại đến đây để nhờ cho con uống thuốc". Tại sao cô ấy lại nói như vậy?
1. 家は遠いが、通いなれた道なので、その母親は大変ではないと思ったから。
Vì mặc dù nhà ở xa nhưng đó là con đường đã đi quen nên người mẹ nghĩ rằng việc đi lại không vất vả.
2. 1週間に1回飲む薬なので、母親はもらって帰る必要はないと思ったから。
Vì đây là loại thuốc uống mỗi tuần một lần nên người mẹ cho rằng không cần thiết phải nhận thuốc mang về.
3. 家は遠くて大変だが、その母親は靴があるので歩くことに問題がないから。
Vì mặc dù nhà xa và việc đi lại vất vả nhưng người mẹ có giày nên không gặp khó khăn khi đi bộ.
4. その母親は説明を聞いても、子供に飲ませる薬の量がよく理解できないから。
Vì dù đã nghe giải thích, người mẹ vẫn không hiểu rõ lượng thuốc cần cho con uống.
Tác giả kể:
「大人は四錠、抱いている子供にはその半分の二錠を飲ませる、ということだったのである。」
→ Người lớn uống bốn viên, còn đứa trẻ đang được bế thì uống một nửa số đó, tức hai viên.
Sau đó, tác giả giải thích:
「この土地では、多くの人が半分という概念を持てないのだという。」
→ Ở vùng đất này, nhiều người không hiểu được khái niệm "một nửa".
Người mẹ không hiểu rõ cách chia lượng thuốc cho con, nên dù nhà ở rất xa, cô vẫn muốn quay lại phòng khám vào tuần sau để được nhân viên y tế cho con uống thuốc.
Nguyên nhân chính không phải vì cô không muốn mang thuốc về, mà vì cô không hiểu lượng thuốc cần sử dụng.
→ Đáp án 4 đúng.
③「薬を持って帰ればそんな思いをしなくてすむのに、それができないのである」とあるが、このときの筆者の気持ちにいちばん近いのはどれか。
Trong bài có câu "Nếu có thể mang thuốc về thì cô ấy đã không phải chịu cảnh vất vả như vậy, thế nhưng cô ấy lại không thể làm được điều đó". Đáp án nào gần nhất với cảm xúc của tác giả lúc này?
1. 薬を買うお金がないということは、本当に大変なことだと思う。
Tác giả cho rằng việc không có tiền mua thuốc thực sự là một điều rất khó khăn.
2. もっと近くに病院を作れば、遠い病院に来なくてもいいのにと思う。
Tác giả nghĩ rằng nếu xây bệnh viện gần hơn thì người dân sẽ không phải đến những bệnh viện xa xôi.
3. 「半分」という言葉を誰も教えてあげる人がいないことを残念だと思う。
Tác giả cảm thấy đáng tiếc vì không có ai dạy người mẹ từ "một nửa".
4. 教育を受けていれば、不自由な思いをしなくてすむものをと思う。
Tác giả nghĩ rằng nếu được học hành thì người mẹ đã không phải chịu những bất tiện và khó khăn như vậy.
Tác giả cho biết:
「この土地では、多くの人が半分という概念を持てないのだという。」
→ Ở vùng đất này, nhiều người không hiểu được khái niệm "một nửa".
Và mô tả sự vất vả của người mẹ:
「しかし、片道十キロずつ、往復二十キロを栄養不良の痩せた体で歩くのは、楽な仕事ではない。」
→ Tuy nhiên, với cơ thể gầy yếu do thiếu dinh dưỡng, việc đi bộ mười cây số mỗi chiều, tổng cộng hai mươi cây số cả đi lẫn về, hoàn toàn không phải chuyện dễ dàng.
Nếu hiểu được khái niệm "một nửa" và lượng thuốc cần sử dụng, người mẹ có thể mang thuốc về nhà, không cần phải đi bộ một quãng đường xa như vậy vào tuần sau.
Tác giả cảm thấy xót xa vì việc thiếu cơ hội được giáo dục đã khiến người mẹ phải chịu những khó khăn đáng lẽ có thể tránh được.
→ Đáp án 4 đúng.
①「そんなとき」とあるが、どんなときか。
Trong bài có cụm từ 「そんなとき」 (vào lúc như vậy). Cụm từ này chỉ thời điểm nào?
1. 会社に入って五年、十年たったとき
Khi đã làm việc ở công ty được năm năm hoặc mười năm.
2. 会社に入ってからの時間があっという間に過ぎたとき
Khi thời gian kể từ lúc vào công ty trôi qua nhanh như chớp mắt.
3. 先輩より後輩のほうが多くなっているとき
Khi số lượng đàn em đã trở nên đông hơn số lượng đàn anh, đàn chị.
4. 後輩より先輩のほうが多くなっているとき
Khi số lượng đàn anh, đàn chị đông hơn số lượng đàn em.
Ngay trước cụm 「そんなとき」, tác giả viết:
「気がつけば、後輩のほうが多数派になっているものなのだ。」
→ Đến khi nhận ra thì số lượng đàn em đã chiếm đa số.
「そんなとき」 dùng để chỉ lại tình huống vừa được đề cập ở câu trước.
Tác giả muốn nói rằng sau nhiều năm làm việc, số lượng đàn anh, đàn chị dần giảm đi, trong khi số lượng đàn em ngày càng tăng. Khi đàn em trở thành nhóm đông hơn, những người chỉ quan tâm đến cấp trên sẽ gặp bất lợi.
Vì vậy, 「そんなとき」 chỉ thời điểm số lượng đàn em đã nhiều hơn đàn anh, đàn chị, chứ không đơn thuần là lúc đã làm việc được năm hay mười năm.
→ Đáp án 3 đúng.
②「バツがつけられた」とあるが、誰がつけるのか。
Trong bài có cụm từ 「バツがつけられた」 (bị đánh dấu không đạt, bị đánh giá xấu). Vậy ai là người đưa ra đánh giá đó?
1. 上司
Cấp trên.
2. 先輩
Đàn anh, đàn chị.
3. 会社
Công ty.
4. 後輩
Đàn em, người vào công ty sau.
Tác giả viết:
「あの人はうえにだけ従順で、したの人間はないがしろにする。」
→ Người đó chỉ biết phục tùng cấp trên, còn những người ở vị trí thấp hơn thì lại xem nhẹ, không coi trọng.
Sau đó, tác giả nói:
「そんなシールが一回貼られてしまうと、組織の中ではバツがつけられたと同じなのだ。」
→ Một khi đã bị gắn cái nhãn như vậy thì trong tổ chức cũng chẳng khác nào đã bị đánh giá là không đạt.
Ở đây, 「バツがつけられた」 là cách nói ẩn dụ cho việc bị đánh giá tiêu cực.
Những người đưa ra đánh giá này chính là các đàn em, cấp dưới bị xem nhẹ, vì họ cho rằng người đó chỉ quan tâm đến cấp trên mà không coi trọng mình.
→ Đáp án 4 đúng.
③「その後の仕事は断然うまく運ぶものだ」とあるが、どうしてか。
Trong bài có câu "Công việc sau đó chắc chắn sẽ tiến triển thuận lợi hơn rất nhiều". Tại sao lại như vậy?
1. ほかの人より遅く上の地位に就いたほうが、同情されるから。
Vì nếu được thăng lên vị trí cao muộn hơn những người khác thì sẽ nhận được sự cảm thông.
2. ほかの人より早く上の地位に就いたほうが、信頼されるから。
Vì nếu được thăng lên vị trí cao sớm hơn những người khác thì sẽ được tin tưởng.
3. 部下から信頼されて、協力してもらえるから。
Vì được cấp dưới tin tưởng và sẵn sàng hợp tác, hỗ trợ trong công việc.
4. いやな上司がいなくなっているので、やりやすくなっているから。
Vì những cấp trên khó chịu đã không còn nữa nên công việc trở nên dễ dàng hơn.
Tác giả viết:
「たとえ人より遅くとも部下から押し上げられて同じ地位に就いたほうが、その後の仕事は断然うまく運ぶものだ。」
→ Dù được thăng chức muộn hơn người khác, nhưng nếu được cấp dưới ủng hộ và đưa lên cùng một vị trí, thì công việc sau đó sẽ tiến triển thuận lợi hơn rất nhiều.
Trước đó, tác giả cũng nhấn mạnh:
「後輩たちとはいっしょにチームを組んで現場の仕事をまわしていく。」
→ Với các đàn em, chúng ta cùng lập thành một nhóm và trực tiếp triển khai công việc tại nơi làm việc.
Điều này cho thấy sự tin tưởng và hợp tác của cấp dưới có ảnh hưởng lớn đến hiệu quả công việc.
Nếu một người được thăng chức nhờ sự tín nhiệm và ủng hộ của cấp dưới, họ sẽ dễ nhận được sự hợp tác của mọi người, từ đó công việc diễn ra thuận lợi hơn.
→ Đáp án 3 đúng.